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丹保敏隆
代表 :丹保敏隆
[ 丹保社会保険労務士事務所 ]
石川県小松市日の出町一丁目112
HOWDID118-202
TEL 0761-24-1005

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プロフィール

◇石川県能美市(根上)生まれ

 海に近く地名も「浜」という所で高校卒業まで過ごしました。その名の通り地面は砂地で松林を抜けるとすぐに日本海が広がっていました。海水パンツのまま自転車で海水浴に行けるような場所なのに、泳ぎも潜りも得意ではなく平泳ぎはスポーツジムでやっと覚えました。松林には松露(トリュフのようなキノコ)も出たそうですが味は記憶にありません。まだソビエト連邦が元気な頃にはこの松林をかすめるように小松基地から戦闘機のスクランブル発進が続き、ベトナムで戦争をしていた頃には黒々として太った輸送機がふらふらと降りてくることもありました。どこまでも続いているように思っていた松林は今はもうほとんど残っていなくて、僅かに残る林を抜け浜風にあたりながら波打ち際でぼんやりと海を眺めて過ごす時間は何よりもリラックスできて貴重です。今も、海から遠くないところに家を求めて住んでいるのですが、基地の騒音は避けることにしました。


◇同志社大学法学部卒業
 
 文学部も受験しましたが入学したのは法学部法律学科でした。金沢美大(実は旧陸軍の兵器庫だったとか)や旧制四高のレンガ造りの建物が学校だと思って見ていたせいか、同志社の綺麗なレンガ造りの建物の並ぶキャンパスが大学らしくて満足していました。絵を描くつもりで“わだち”という美術部に入ったところ、油絵は“鞍馬画会”が中心で、ここでは絵よりも写真や映像の世界に入り込んでしまいました。森山大道や中平卓馬のような写真を撮りたいと、夕張での合宿に向かう途中に遠野・久慈・大間を周った年、森山大道の「遠野物語」が発表されました。当たり前とはいえ、その力の差を実感して写真家はできないと悟りました。卒業して何年も経ってからですが、松山義則総長が金沢へお越しになった際に、祖父が雪の降る日に石川県の林という村を後にしたという話を聴きました。その時は気がつかなかったのですが、確かに小松市林町(江沼郡林村?)にはクリスチャンの人達がいたそうで、石川県にに縁のある先生だったようです。


◇金沢名鉄丸越百貨店勤務

 写真家にはなれなくても少しは関連のある仕事がしたいと思い、カメラやフィルムの会社に就職を試みましたがこれも叶わず、採用してもらったのは金沢の百貨店でした。洋陶器、日用品、人事、厚生、教育、ギフト、子供用品、などの部署に配属され、平日に休みをとる気楽さをおぼえました。連続した休みは取りづらく遠出する機会は殆どなかったものの、あてもなくオートバイで走り回ると平日の方が行動範囲は広がりました。また、30分以上かけての電車通勤はゆっくりと新聞や書籍を読むことのできる貴重な時間であり、連れが何人か集まった時には缶ビールを買い込んで宴会にもなる時間でした。勤務して何年も経たないうちに父親が病気で入院し亡くなったため退職することにしました。日曜日に休めない職場なのに、結婚式や法事など何かと日曜日にイベントが集中する年代だったためです。何も役に立たないままに退職し、同僚や先輩、上司や部下の人達にはご迷惑をおかけしたと思っています。それにも拘らず、OBとして退職後も多くの方からお付き合い戴けることを有り難く思っています。


◇社会保険労務士登録

 百貨店勤務中に社会保険労務士試験を受験し、二度目の試験で合格、そのすぐ後に石川県社会保険労務士会に登録しました。上司に「魚食い」と面白がられて居酒屋に誘われ、酔いの回った頃に「受けて来い」という話になり言われるままに試験を受けました。もしかしたら、私が百貨店に長く勤務するのは難しいと考えてアドバイス頂いたのかも知れません。ちょうど人事部門に配属されていた頃なので違和感なく受験し、合格した次の年には営業部門へ異動になりました。労働契約法は勿論のこと介護保険制度も基礎年金制度もまだ知らない時代のことです。この頃、社会保険労務士資格についてさほど重要な資格との認識はなく、合格するまで何年も受験校に通うような人達が出るとは思いも及びませんでした。


◇伊藤会計事務所勤務

 百貨店を退職しようと考えていた頃に紹介されたのが会計事務所でした。今になって思えば、ご紹介いただいた方にとって社会保険労務士も税理士も会計士も似たような仕事と考えていたようです。私自身も会計事務所というのは公認会計士の事務所と思い込んでいて、税理士の多くが会計事務所という看板を出していることをこの時に知りました。簿記も会計学も知らない者にとって税理士事務所は職人的とも見える異質の世界でしたが、小規模企業・零細企業の内側を見ながら労働社会保険の手続きができたことは貴重な経験でした。とりわけ、仕事の合間に経営者の方から聞かせて戴いた話は、事業に取り組む思いや開業の前後のこと事業の拡大縮小のことなど、他では得難いことだと思っています。自分が開業するにあたり、この経営者の方々からの激励と支援のひと言ひと言に人の言葉の力を感じました。


◇丹保社会保険労務士事務所開業

 税理士事務所としての社会保険労務士業務には限界と問題が多く、事務所の先生にお願いして開業のお許しをいただき社会保険労務士事務所を開設しました。開業にあたり税理士事務所の職員や顧問先からも応援していただけたことに感謝しています。そして、家族からも独立開業を受け入れてもらい安心して取り組むことができたと思います。それまで、どこか一人前と認めないところのあった母の私に対する態度が変わったのは年のせいだったかもしれませんが、やはり後には引けない気分にさせられました。また、この頃に開業した社会保険労務士の多くがスタッフの力を借りずに自宅に事務所を構えて単身で効率的に活動するフリーランサーのスタイルなのと比べると、私は家賃を払い給料を払うという効率の悪いスタートを切ったようですが、一所懸命に仕事をするスタッフが隣にいるのは頼もしく嬉しいことで前へ進む大きな力ともなりました。


◇特定社会保険労務士登録


◇石川中央労務研究所設立






posted by 丹保社労士事務所 at 2009年10月01日 | HOME