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丹保敏隆
代表 :丹保敏隆
[丹保社会保険労務士事務所]
石川県小松市日の出町一丁目112
HOWDID118-202
TEL 0761-24-1005

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成長のための見直し

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 このたび、私どもの事務所では報酬料金を改定することとさせて戴きました。育児休業利用者の増大や雇用契約と労働条件の多様化に加え、マイナンバー制度やインボイス制度の導入により業務が著しく煩雑化し、さらに情報サプライチェーンのセキュリティ強化が求められています。これまで、事務所の業務規模拡大とスタッフの対応能力向上により報酬料金の維持に努力してまいりましたが、人件費や消耗品費など諸経費の高騰によりこれまでの企業努力だけでは対応が困難と言わざるを得ない事態に至りました。私どもの業務の質を向上させサービスの提供を継続するため、このたびの報酬料金の改定を実施することとしたものです。顧問先の皆さまには、何卒、諸事情をご賢察いただき、今後とも変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。なお、顧問先の皆さまにはメールマガジンやホームページを通じて経営情報の提供を行っていますので、紙によるニュース提供と併せ、是非、ご利用いただきたく強く登録をお勧めいたします。また、今後になりますが、紙による資料提供を電子データによる提供に切り替える時期もあるかと思いますので、こちらも早めに対応をご検討いただきたいと考えています。
デフレ経済からの完全脱却ということで、コストカット最優先の考えを成長重視の方向に転換し、賃上げと減税により投資を促すのが政策の様です。石油価格の長期的な上昇や最低賃金の大幅な引き上げ、食料品や公共料金の値上げが続くなかで株価が上がり、狙い通りインフレ気味に推移してきたのは政策が功を奏したのかも知れません。しかしこれを成長というには未だ実感に乏しい感じがします。高齢社会に於いて労働力不足は明らかで働く人の力を無駄にすることはできませんし、地域の賃金格差が解消しなくとも若年労働者の育成は怠ることができず、自らの事業を信じるなら投資をためらう理由がないだけだとも考えられます。ここを考えるヒントと余力が必要です。経営者・管理者に於いても雑務に囚われることなくコア業務に集中することが期待されます。私どもは、アウトソーシングとコンサルの両面から顧問先の企業の皆さまの事業をサポートすることが可能ですので、状況に応じてご利用いただければお役に立つことが多いと考えています。そのためには、私どもが今以上に能力を向上させることが必要です。顧問先の皆さまの役に立つ情報提供だけでなく、業務の改善を支援するソフトやツールの提供、人材の採用や育成を支援する仕組みづくりなど、私どもが成長の基盤となる業務を身に着けることも心掛けていきたいと考えています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2024年05月05日 | スモールトーク

真似するだけでも健康経営

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 雪が少なく春が早いのかと思っていたら、春休みの時期が来ても気温が上がらず、桜の開花予想が遅れてきているようです。北陸の桜は入学式のイメージが私にありますが、いつの間にか卒業式に桜が当たり前のなか、もしかしたら今年は入学式まで花が残っているかも知れません。新入社員に場所取りをさせてカセットコンロで暖をとるなど前世紀風のお花見を見てみたくなります。駐車場の蕾の下でそんなことを想いながら、年度末ギリギリに健康診断を受けてきました。コロナが落ち着いて受診が増えたのか、一人だけなら何とでもなるだろうという期待は甘過ぎて、秋が過ぎたら数カ月の間は予約で埋まり、無理やり年度末にはめ込んでもらった状態です。この健康診断に限らず、私どもの事務所では、ここ一年ほど健康の維持改善に関係するイベントを実施する機会が少なくなってしまいました。コロナが明けて屋内も屋外もイベントが多くなって、まとまった時間を取り辛くなったことが一番の理由ですが、感染症対策をクリアしたあとは何となく健康に問題なく物事が流れていく安心感に溶け込んだような気がします。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」と定義されていて、病院での健診だけでは掴み切れない充足感までもが健康の条件になるようです。近年は、行政からも「健康経営」という言葉が出てきて、企業経営にあたり健康を支援し推進することに社会的評価が与えられるべきの考えが前面に出ています。経済産業省によると、「健康経営とは、従業員等の健康管理を経営的な視点で考え戦略的に実践することです。企業理念に基づき従業員等への健康投資を行うことは、従業員の活力向上や生産性の向上等の組織の活性化をもたらし、結果的に業績向上や株価向上につながると期待されます。」とし、「健康経営」は、日本再興戦略、未来投資戦略に位置づけられた「国民の健康寿命の延伸」に関する取り組みの一つ、と説明しています。国の経済の面からみれば、高齢社会になっても長生きするだけでなく長く働くことができる人を増やす点に重心を置いています。企業サイドから考えれば、働く人が健康で期待通りのパフォーマンスを発揮することを前提に雇用し就労しているので、労働力の質を維持するという面で一致してきます。アブセンティズム(心身の体調不良が原因による遅刻や早退・就労が困難な欠勤・休職など業務自体が行えない状態)だけでなくプレゼンティズム(出勤しているにも関わらず心身の健康上の問題が作用してパフォーマンスが上がらない状態)が問題にされています。私どもの事務所としても今いちど健康をテーマに、気持ちよく働き易い職場となるよう、セミナーやウォーキングくらいは再開したいと考えています。私自身もコロナ後は体重が増加傾向だと指摘されていて、私のレッドゾーン68キロを超えると制御できなくなる危険があると警告されてしまいました。軽いことしかできませんが、お付き合い頂ける方がいらっしゃったらイベントにもお誘いしたいと考えています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2024年04月02日 | スモールトーク

まっとうな人と法の執行

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 仕事柄とはいえ、法律の執行や運用に不思議な感覚を持つことが多くなりました。私ども社会保険労務士が日常的に接する法律として労働基準法や労働契約法があります。労働基準法は昭和22年9月の施行で、労働契約法は平成20年3月に施行されています。労働基準法施行から労働契約法が施行されるまで60年ほどの間、労働基準法と民法の雇用契約のギャップを埋めていたのが最高裁判所判例であったり下級審の裁判例だったりということで、ここが労働法の面白いところであり面倒なところでもあるということになります。最高裁判例や裁判例が積み重なって労働契約法が制定されていると説明されることも多く、判例法が実定法に大きな影響を及ぼしている面白い世界が日本の労働法の世界です。面倒なのは判例の結論が全てではないという点で、裁判である以上は常に具体的な事例に適用された結果であり、僅かでも前提が異なれば結果が違ってくるだろうことを知っておかなくてはなりません。裁判例が残されているとしても、最高裁に上がったとき同様の判断がなされるかどうかも分かりません。社会保険労務士として印象深いのは、合衆国の確定拠出年金401Kに関する課税の扱いに関して地域により時代により真逆の判断が繰り返され、次第に非課税範囲が明確になるとERISA法の安定した運用が行われて日本でも導入が促進されたことです。判例法理に基づく日本での労働法の運用執行が不安定ということはなく、むしろ硬直的と受け止めている向きが強いかも知れません。雇われて働くことと働いた仕事に見合う給料を支払うことを深く考えるより、働いた時間に応じた賃金を支払うことを明確にするため、タイムカード打刻時間を客観的記録として在社時間に対し賃金を支払うことを法執行部門が求めるよりないからです。時刻の記録が義務化され唯一の記録がタイムカードだということの帰結です。いま、「働くこと」は「雇われること」と同義かも知れません。しかし、雇われて働くことは、時間を売ることでも無く、身体を売ることでも無く、仕事の面白さや働く喜びを捨て去ることでも無く、自らが働く意義を見出した働き方です。法律が相手にするのはギリギリの線で働く人達かも知れません。ただ、際どい働き方をする人達のために全うな働き方をしている人達にまで制約が及ぶことは迷惑な気がします。かつてのローマには労働法が存在せず、奴隷の貸し借りという考えで労働力を融通させていたそうで、借りた奴隷は元通りに返すなど安全配慮義務と似た考えも内包しています。奴隷の心身が分離して自分の心(持主)が自分の体(奴隷)を賃貸しできるなら、歴史的な話でなく観念的には賃金労働者が成立してしまいます。「働かない自由」だけ与えられたと言われる合衆国の黒人解放奴隷も比べ合わせて、いまの日本での働き方や仕事のあり方がこれまで通りの縛り方でうまくいくのか、働く場と働く人が一度に消えた能登を思いながら深くは考えずとも心配にはなってきます。
posted by 丹保社労士事務所 at 2024年03月05日 | スモールトーク

能登からでた宝もの

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 このたびの能登地震で被災された皆さんに心よりお見舞い申し上げます。また、多くの方々から私どもにまでお気遣いやご心配いただき誠に有り難うございました。元旦の午後、年賀状を取りに事務所に出向いたところで地震に遭いました。大きく長く繰り返す揺れは震源から離れた土地でも逃げ場のない怖さを感じるものでした。事務所では棚から書類が飛び出すなど大変な事態でしたが人的な被害はなく、すべての職員は無事に出勤してもらっています。まずは事務所の状況をお知らせして安全のご報告とさせていただきます。
 地震発生から一月近くが経って復旧作業が始まり、ボランティアの受け入れも始めたようです。私ども社会保険労務士として何ができるのか、既に社労士会の義援金の募集を終え、行政の特例措置など周知しながらその対応を支援していますが、この先も果たすべき役割は多いと考えています。直接的には、技能を生かした災害ボランティアとして自ら被災地に入ったり、その後方に回ったりしてボランティアの人たちにその力を十分に発揮してもらうことができます。要望が有れば被災地の社労士業務を代行することも可能です。労働社会保険行政の窓口業務も再開し始めて、復旧作業に関連する時間外労働や事業継続に備えた当面の休業措置或いは事業整理に向けた解雇予告、雇用調整助成金の特例適用や基本手当支給の特例措置または雇用保険の離職手続、従業員本人や被扶養者の健康保険証の再発行手続、場合によっては未払給与の計算、その他にも社労士がその業務に関連した領域で支援可能なことは少なくありません。ただ、制度面で対応の難しさを感じることも多くあります。雇用調整助成金は元々が経済情勢の変動を前提にした製造業の雇用維持を意図する構造を基盤にしていて、コロナの雇用対策を担った時期を経て対応し易くなっているものの、小規模事業者にとって少し無理を求められるところが有ります。ただ、1年のクーリング期間が取り払われたことで、かなり雇用調整助成金の使い勝手がよくなった印象があります。また、失業給付の基本手当が特例として在職中に受給できることは便利とはいえ、離職した際の受給権が不安定になることを考えると被保険者への説明に不安と難しさが残ります。地域行政の担当者自身が避難所で暮らしていたり、家族が遠く二次避難所に移ったり、負担が重くなっていることも伝わってきています。事業所が被災し、事業主が被災し、従業員も被災し、この先も事業として継続する途を見出すことの困難さは解消していません。仕事がないと人は暮らせませんし、人のいないところで事業は成り立ちません。人が暮らすには住む家も必要です。高齢者が多い地域で仕事のために家族がバラバラの家に住むことが好ましいとは思えません。地域の力をそのまま再生できれば無駄がないと思います。廃校になった、珠洲実業、輪島実業、町野高校、柳田農業、小木水産、他にも、飯田、宇出津、輪島、門前、志賀、富来、穴水、中島、七尾、羽咋、どこの学校でも地元就職を希望する生徒が多いといわれ、その地元とは市内でなく石川県内のことでした。事実、これまで、輪島や珠洲からは多くの人材が石川県に限らず広く各地に出ています。能登の宝とも思える彼らの力も借りながら彼らの縁を生かして能登を何とかできないかと想うところです。
posted by 丹保社労士事務所 at 2024年01月31日 | スモールトーク

正月は年に二度 

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 父や祖母がいたころの正月は年に二度ありました。一月は父の正月で二月は祖母の正月でした。正月も盆も雛祭も鯉幟も旧暦が生活に残っていたのは、明治生の祖母と大正生の父母がいたお陰です。今はお盆だけが8月ですが、雪の中の正月、陽春の雛祭、五月晴の鯉幟、北陸の暮らしに旧暦は違和感なく溶け込んでいました。正月が二度あった頃の我が家の二月正月は起舟まで鮮魚がなかったのか鰊と大根の麴漬にべろべろえびすが印象に残り、一月の正月では暮に鱈や鰤や黒豆や牛蒡など正月料理の準備をして元旦のお神酒の前に父が小蓋を出してくれた記憶があります。父の料理はこの時だけで小鮒と板蒲と何か少しですが、今になって思うと料理屋さんで出るものではないしおふくろの味とも全く違う趣のものでした。男の料理というほど力みがなく、家庭料理の普段味でもなく、由来が謎のまま、時々、父は自分の口に入れるものを調達していたようです。酒に合わせて、荒れた日の浜に上がったカワハギがあったり、子供は食うなといわれたタニシがあったり、粋がったものでなくこっそりとした印象のものです。これとはまた別に、どこで見分けるのか不思議だったのが草や木の芽で、自転車で出掛けて帰ると酒を温めてチビリと飲むのです。これが何だったのか、確かめたくて受講した和ハーブ講座の講師によると、海岸沿いの土地ではハマボウフが今も定番の様です。湯に通して酢をたらすと色が出て人気のアイテムとなり、これは料理屋さんでも並ぶのかも知れません。ほか、ハマウドやハマゴウなど、海沿いの和ハーブには山菜とは別の親しみを感じます。ただ、食べ方はちょっと問題で、講師に尋ねると何でも天ぷらになり、火を通して風味を閉じ込めると美味しくなるのは確かでしょうが、焼くとか蒸すとか試してもよさそうです。間違えると有毒なものも混じるので安全面から火を通すのが無難です。実は、柔らかそうで大きな芽を吹いた枝を見つけたので、きっとこれがハマウドと思い写真にしてGoogleで探してみたらセンダンと出ました。センダンには防虫効果がありその葉は鹿も食わないそうで、果実は抗酸化効果のあるサポニンを含み人や犬には毒性を有するとのことでした。加熱で変性する毒ですが新芽も危ういので苦にするのはやめました。でも、このサポニン、ゴボウにも含まれていて、母が最後に作ってくれた正月料理が灰干牛蒡だったことを思い出します。青魚が苦手の母がアクを抜いて頼りなくなった灰干牛蒡を再現するのも、麹漬と同様に簡単そうで何時でも聞けると思っているうち教わるのが難しくなってきました。
posted by 丹保社労士事務所 at 2023年12月31日 | スモールトーク

なぜ植物図鑑50年に和ハーブか

なぜ植物図鑑50年に和ハーブか
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 植物図鑑と言うと中平卓馬をまず初めに想い浮かべます。この事務所報の表紙写真を依頼している武内正樹が惚れ込んだ写真家の代表作です。ついでに、急性アルコール中毒による記憶喪失、所在不明のジャズシンガー安田南のうわ言、写真以外のことが記憶に留まっている写真家です。この「なぜ植物図鑑か」も写真集でなく評論とされるもので、だから私の本棚にも並ぶサイズになっています。牧野植物図鑑に悪ノリしたわけでなく、中平植物図鑑から50年を経て回顧展が企画される時代になってしまいました。「なぜ植物図鑑か」を本棚から引っ張り出す気力は薄れ、私の植物図鑑は花づくり野菜づくりの作業マニュアルで、和ハーブや和紅茶と言われて未知の領域に引きずり込まれそうな所にいます。和ハーブと言うのはヨモギやドクダミなど私達の足もとに生えている植物で、医者に掛かることの出来なかった時代から薬効が認識されていたものを言うそうで、トリカブトなどの毒もまた認識され利用されていたということです。子供の頃を思えば、年老いた祖母はガマの穂を常備して怪我の手当てをしてくれたり、ヘビの抜け殻を熱冷ましにしたり、チドメで出血を押さえたり、救急とも漢方とも違うまじないの様なことをしてくれました。母は母で、ヨモギやドクダミにクコやらササやら何やら有り難みのない煎じ薬の様なものを飲ませてくれた覚えがあります。面白いのは父親で、普段は料理しないのに、たまに刺身など作ったりすると浜か何処かから気に入ったものを採ってきて、それで一人して飲むのです。これは究明すべきと考えて、至った先が和ハーブという領域です。和ハーブを自分の足元の植物として一括りにすると、本州では修験道に由来する伝統があり、北方ではアイヌ文化に由来する流れがあり、南方では沖縄文化に由来する流れがあるそうです。南方では高地に自生するのが北方では海岸に自生するなど、気候が違うので植生が異なり、その利用方法に違いがあり毒性植物も異なるため注意が必要ということです。和ハーブという括りは古くからの伝承が途絶えると新鮮味があります。一方では何代も住み続けている地域から発見もあることと思います。私には父親が酒に合わせていたのが何か突き止めたい気持ちが有ります。まず挙がったのがハマウド、今も人気のあるのがハマボウフ、想定外だったのがハマゴウでした。ハマウドの名の植物が見当たらず、少し似たものを調べてみるとどうやらセンダンの幼木らしく、放置するととんでもない大木になるので伐採した方がよさそうです。ハマボウフは料理屋さんでも湯通しで出てきて酢で食べるといいようです。ハマゴウは香りがいいとうところまで分かったのですが食べ方はよく分かりません。分からないときは天ぷらが無難な食べ方と考えておけば間違いないようです。調理の腕を磨くことも考えねばなりません。話が戻りますが、植物図鑑の中平卓馬、モノクロたて置きの写真が多いそうで、武内正樹もその傾向が強く、近いうちに表紙レイアウトの変更を考えています。ご期待ください。
posted by 丹保社労士事務所 at 2023年12月22日 | スモールトーク

さいはてのスタンプラリー

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 腹が空いて見逃してしまいましたが、廃止された佐渡航路フェリー定期便の待合室は、佐藤允彦、角田光代、石川直樹、山下洋輔、田中泯、そして多くの旅行者らを呼び寄せ、奥能登国際芸術祭「さいはてのキャバレー」として温存されているそうです。かつて原子力発電所の建設計画が推進された珠洲市全域を会場にして今年のトリエンナーレ「奥能登国際芸術祭」は日程を変更して開催され、私が訪問したときは断続する地震の被害にもめげず多くの人達がボランティアで運営にあたっていました。能登半島の先端部にあたる珠洲は半島の内浦と外浦の両方に面し、穴水から車で七尾湾を右に見ながら海岸線をトレースして走ると湖より静かで穏やかだった海面が岬の峠を越すあたりから沖を眺めると白波が泡立つような荒海に変わります。海に山が迫る半島の四十数か所に展示会場が散らばり、地元の人達も生活圏が違うと行ったことがないという場所を、ボランティアの立てた看板を頼りに車を走らせました。風力発電の風車や大きな実が弾いた椿やいつ収穫するのか心配な柿の木など見ていると、帰り道、ちゃんと戻ることができるのか心配にもなりました。そんな場所でも、地元のお母さんたちがギャラリーのお世話をしてくれて、地震のことを訊ねると「ウチの屋根は大丈夫」と明るく応えてもらったのですが、よく聞くと家の壁がヒビだらけでも雨漏りはしていないだけなのだと分かり、自分達がここに来るだけでも意味があったのだと思い、芸術祭は原発よりも価値があるのだと考えることができました。いま絶滅危惧市と言われる珠洲には何度か新卒求人で訪問したことがあり、多くの生徒を紹介してもらった珠洲実業高校が廃校になったことを知りました。隣接する町にあった小木水産・柳田農業・輪島実業・町野高校、少し先にあった中島高校・七尾商業・七尾工業・七尾農業・富来高校・高浜高校も統合されており、地域の宝として多くの生徒たちが各地に送り出されたことが分かります。廃校になったのは高校だけでなく、芸術祭の展示会場には廃校になった小学校や保育園が幾つも使われていました。取り壊すことなく残された校舎はそれ自体が何かを語りかけてくるような個性に溢れ、校舎に負けないパワーを秘めた展示品が集まったようです。そして、廃線になった能登線の駅舎もまた展示会場として使われ、黒丸・鵜飼・上戸・飯田・珠洲・正院・蛸島と続く各駅が乗ったことのない鉄道にひとつ一つの想いを呼び覚ますかのような場の雰囲気を醸していました。飯田駅前にはお世話になった同業の先生の事務所が看板を上げたまま残され、往年を知る者には時を逃し終い忘れたモニュメントの様に見えました。三崎の小学校からランプの宿を廻って大谷あたりでガソリンの残量が気にかかり、輪島まで持つだろうかと探し始めるとガソリンスタンドの廃業が目につきます。次回は燃料をたっぷりと補充して、あと半日あれば全展示会場をコンプリートに回り終えることが出来そうです。
posted by 丹保社労士事務所 at 2023年11月03日 | スモールトーク

加賀三湖から世界のコマツへ

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 長くて暑い夏は彼岸を過ぎてもまだ終わった気がしません。南の風が雨を誘ってひと涼みのつもりが蒸してくると気温以上に暑苦しく感じます。コロナで手を洗う癖がついたら冷たい水の気持ちよさも覚えてしまい、手洗いの序でに頭から水を被りたくなってきます。いつまでも暑い暑いと空調の効いた部屋に閉じ籠っていては良くないと思い、先日、研究会のスピンアウト企画ということで小松の山間地をほっと石川観光マイスターの辻さんに案内してもらいました。ほんとは、もっと涼しい風にあたって歩くつもりだったのに、やはり例年並みとは言えないのが今年の夏でした。「加賀立国1200年」ウォークと名付けられたイベントは行政にオーソライズされたものでなく、参加者の懇親と健康づくりを兼ねて開催する謂わばプライベートな行事です。しかし、能美市・小松市では越前国分割という形で遅れて設けられた加賀国の立国1200年は重要な地域イベントのようで、かつての「河田山古墳群史跡資料館」は改装が施されて名称を「加賀国府ものがたり館」と改め、施設の職員の方から私達は大いに歓迎されたような印象があります。ただ、改称から日が浅く、カーナビにもネット検索にも掛からず集合には手間取りました。さて加賀立国1200年、弘仁14年(西暦823年)に越前国七郡から能登越中に近い江沼と加賀の二郡を分かって加賀国を立国したもので、直後に江沼郡から能美郡を加賀郡から石川郡を独立させて加賀国は四郡編成となり、律令制の地方行政府である加賀国府の置かれたのが今の小松の国府地区だったそうです。国府のあった古府台地は梯川と鍋谷川の合流地点に位置する高台で、梯川河口の安宅とは水運で結ばれた交通の要衝であり、小松の名の由来が弥生時代に朝鮮半島と往来する高麗津を起源と考えるのも説得力を増してきます。小松南部の丘陵地では半島伝来の須恵器窯跡や古代製鉄遺跡が多く見つかり、JR小松駅東側の弥生中期環濠集落跡からは西日本一帯に流通した勾玉管玉の生産も確認され、加賀三湖の水運を背景に梯川を通じて安宅から白山をランドマークに日本海沿岸に広がる交易は世界のコマツとして認識すべきなのかも知れません。こんな話を聞きながら、住宅造成地の片隅にある河田山古墳群跡をスタートして白山の伏流水が湧く桜生水で一息入れて加賀藩二代藩主前田利常公灰塚から天保十年糠虫大発生の駆除を供養した埴田の灰塚を経て府南社推定地の石部神社まで、古墳時代から藩政期に至る盛り沢山のコースを二時間足らずで歩き抜くことができました。
posted by 丹保社労士事務所 at 2023年09月29日 | スモールトーク

北信濃のゴールドラッシュ

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 この夏、お盆前、小松では気温が40度を記録し、日本で一番暑い地点となりました。フェーン現象で山越えの熱風が小松の辺りを流れたようです。台風が近づくとよく起こる現象ですが、ここまでになると、雨も少しぐらい降らせてくれないかと思ってしまいます。なにしろ、長い間、雨らしい雨が降りません。ほんとは、降らない方が気楽でいい筈なのに、今年は毎日の水遣りが欠かせなくなって、これが少し面倒になったのです。何年か前まで母が実家の背戸に野菜を作っていたのが、介護施設の世話になるようになってから雑草が増え始め、草むしりするくらいなら何か植えてみようと思い、昨年、試しにサツマイモを植えたらちゃんとできて、今年は、調子に乗ってカボチャまで植えてしまいました。しかし、今年の夏は普通ではなかったようで、暑さで雑草は枯れてしまい、たっぷり水を遣らないと暫らくで作物も萎びてしまいます。そして、水が掛かったところだけは雑草が元気で、カボチャは雑草の陰で申し訳なさそうに花を咲かせている有り様です。何も植えなければ水遣りすることもなく、水を掛けなければ草が伸びることもなく、簡単に草取りを終わっていたかも知れないと思うと、気持ちの萎えるところがあります。しかも、カボチャの収穫は2つだけ、苗を3株植えたうち実になったのが2つでした。後で聞いたら、これでもラッキーだったかも知れないのですが、本当に暑くならないうち自然に受粉したのが2つだけあったと考えるべき状況だったようです。カボチャには雄花と雌花が有って、一度に咲く花の数が少ないため人工授粉しないと実を結ぶチャンスを逃すことが多いとのこと。話を聞いたのが暑くなってからで、水遣りに行く時間には花が萎んでいて受粉できず、そのうち暑さが厳しくなるにつれて咲くのは雄花ばかりで雌花を付けなくなりました。蔓が伸び放題の株はだんだんと弱り、水を遣っても枯れてしまい、雑草のなかに2つの実だけが残りました。収穫前に蒸し上がってしまったかと思ったカボチャでしたが、しばらく置いて切ってみたら思いのほか実も詰まり、カレーに入れてもらうと普通に食べて大丈夫な出来でした。この頃の野菜の甘さには少し驚きます。何も知らずに作っても、品種改良ということなのでしょうが、甘みのある旨いカボチャができるのです。たまたま、先日、通りかかった信濃町は「ゴールドラッシュ」で渋滞気味でした。ここではトウモロコシの収穫時期で、農園の即売会場に車が列を作っていました。そして、このゴールドラッシュも確かに甘くて食べ易いのです。甘さの理由は気温の寒暖差と早起きだそうで、素人が簡単にできると思ってはいけないのですが、来年はトウモロコシにチャレンジする手も有りかと秘かに想いを巡らせながら、目の前のサツマイモの葉より立派に茂った草藪を眺めています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2023年08月31日 | スモールトーク

のこぎり坂が祝言坂の蓮如道

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 急な山道をのこぎりの歯のように屈曲して登る加越国境の難路と記されている細呂木から吉崎に向かう旧街道は、江戸時代の初めには大名道路として大改修がなされ明治になってからはこれを切り下げて険しい山道が今のように歩き易い道になったということです。鎌倉時代には越後に流された親鸞がここを通り、室町時代には吉崎に御坊を建立のため下向した蓮如がここを通り、今も、真宗門徒は毎年の行事として御影を担ってここを通ることになっています。私達もこの道を歩いてみようと、晴れ男を自任する大聖寺文化協会の事務局長さんにガイドを引き受けて頂き、梅雨のうちなら酷い暑さは心配ないと考えて7月の上旬にチャレンジしました。しかし、気象予報は降水確率を上げ続け、当日の天気も次第に雨が止みそうではあっても上がりきらず、御山から蓮如道の入口までたどり着いたものの、その先を歩くことはあきらめ別の日に出直すことにしました。浄土真宗の東別院と西別院が並び立つ吉崎には道の駅がオープンして、地元の物産や土産物の販売所のほか私にはハイエンド超えのようなカフェもできていて、雨でも退屈しない観光スポットとして整備されたようです。県境を越えて福井に入ったせいか、おろし蕎麦や焼きサバ寿司が旨そうでしたが、今回、これも名物かなり小さめの酒饅頭を土産に買ってしまいました。実は、ここには道の駅ができる前から「吉崎御坊蓮如上人記念館」があって、入館すると学芸員の方のエスコートで、一人だと見る前に通り過ぎそうな展示物をより面白く見ることができます。蓮如は南無阿弥陀仏の名号や教義の解説というべき御文を大量に発出して教線を拡大したとされ、生産力が増大した越前・加賀に狙いを定めて進出を企てたと思われます。寄進奉納の量と質に比例して仏のご利益が顕れるかの如き分かり易くも隔絶感の強い密教系の教えと比べて、全てに平等な救済を説く鎌倉新仏教として特徴的な教義を集団で高揚させる布教は、時代と地域にチューニングしたかのようです。もとは真言の寺が真宗に宗派替えしたり、もしか一向一揆の乗っ取りか、お寺を基盤にした活動は独特で、仏像も御守りもご祈祷もお祓いもなく、一期一会の信仰で救われる宗教的合理性は、現代の新興宗教にとって不都合な到達点かも知れません。すでに救済されて極楽浄土が約束されていると言われても「阿弥陀も銭限」で、堕とされることはないので「地獄の沙汰も金次第」と言わないだけの知恵かも知れません。ただ、超能力を売り物にしなかったところがこの時代の宗教革命とも考えられます。この正当性と合理性を明らかにする正信偈の一節は、映画「ブルースブラザース」でブラックミュージックの伝統を延々と説くシーンを思い出させ、河口の港に面して要塞のように見える御山に据えられた御坊は宗教施設としての役目を超えたものを想い描きます。確かめる術はないものの、このあと序でがあって再度この道を歩いたときは、暑くて風がなく虫の多い日で、ウグイスが法華経を読んで案内してくれました。
posted by 丹保社労士事務所 at 2023年07月30日 | スモールトーク