遠い雨の記憶
この前に雨が降ったのは一体いつのことだったか、思い出せないほど長く降っていないように思います。多分、ひと月ほど前のこと、もしかしたら夜だけ雨の音がしていた晩があったような記憶があるくらいです。雨の上がったあと、喉の痛みと咳が気になり熱っぽくなって受診したところ、暑い車内で待機して診察も受けずに検査を受けただけでコロナ感染が告知されて対処薬の処方が出され、そのまま走った薬局では薬剤師からコロナですかと尋ねられながら薬を待つうち喉が渇いてペットボトル一本を空けました。このあたりから雨の記憶がないのです。日中の草むしりには身の危険を感じるほどの暑さなのでこれは控えながらも、実家の水やりは間違いなく毎日続いたので、たっぷり雨が降るような日はずっと無かったと考えて間違いありません。会合の翌日に喉が痛くなり、タバコを吸う人がいたせいかもしれないと思ったのが始まりでした。二日目には長い話がし辛くなって少し咳払いするような感じで喉が酷くなり、そのあとは鼻水が出始めて体温は37度を超えて血圧も心拍数も急上昇したので近くのクリニックを受診しコロナと分かりました。私に続いて家族の感染もあって休みが続き、しかも今年はお盆休みの前に連休が組み込まれていたため、雨の降らないお盆の休みが明けても毎日の水やりが続きました。こんな風に書くと大変な作業をしているみたいに思われるかもしれませんが、時間にすると1日に10分か15分ほどの時間、それでも放ったらかしにすると茄子や南瓜はすぐに枯れてしまします。当たり前に陽射しは強く、水道の水は冷たく気持ちよく、わずかの時間に足はサンダルの形をきれいに写し、知らない人に足を見せると湿布剤を貼っているように思われます。そして不思議なのは雑草の強さで、お金を払って買った苗は一日で萎びて枯れてしまうのに、水を掛けていないはずの草がどんどんと茂ってエリアを拡大し続けています。熱中症予防とコロナ療養を大義名分に掲げて草むしりは出来るだけ避けて過ごしているものの、このまま放置していると先がどうなるか心配になり、日陰だけでも何とかしようと引き抜いたらプチプチと簡単に切れてしまうヤツやら、見かけは小さくてもしっかりと根を張って鎌を使ってズタズタにしても次の日には芽を出すヤツやら、水道代を心配しながら連日の水やりに加えて面倒くさそうに次の課題が出番を待っています。コロナでも体に合わせてできることもあると分かったので、何とか草むしりができたら、ジャガイモやタマネギぐらいは作れるようになってみたいものです。ここにきて台風のニュースが流れているので、壊れたままの雨樋や腰板を修理してもらい、まずは台風をやり過ごし秋の準備をしなくてはなりません。
posted by 丹保社労士事務所 at 2024年09月02日
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熊も水浴び
気温が上がり続けて蝉が鳴いているのに、夜になると雨が落ちて梅雨が明けず、いつの間にか学校の夏休みは二週目に入ってしまいました。雨と暑さで花壇の草は伸び放題に伸び生垣の木の枝は隙間なく繁ってしまい、お盆までに片付ける事が出来そうもないぐらいになっています。薩摩芋の苗を植え損ねたのと時々の雨のお陰で、今のところ親の家の背戸に植えた南瓜や茄子の水やりは楽をしていますが、草の伸び方が著しく、年を経る毎に草の種類と密度が増え続けて、水やりの序でに草をむしっていても追い付きそうにありません。年寄りはどのぐらいの時間を草むしりに費やしていたのか、自分の時間感覚では想像の限度を超えてしまいます。僅かの空き地に耕運機や草刈機でもないだろうと思いながら、眺めているうち日に日に草が繁ってきます。これに加えて自宅の玄関脇の小さな花壇も凄まじく、暑さに強く霜が降りる頃まで大丈夫と思っていたベゴニアが消え、花は弱まっても株が残っている筈のナデシコが枯れてしまい、グラジオラスの球根を植えただけで夏の花が他になく、この先、お盆を前に随分と寂しい花壇になりそうです。こんな中、お昼に気がついたらスマホにメールが入っていて、家の近くで熊の目撃情報があったとの連絡で、当面の外出は禁止自粛にするよりなく、その後の出没に注意して暮らすことになりました。実は、健康診断で運動不足を指摘され、週に何度かだけ帰宅後に町内を軽く歩いて一回りしていたのも直ちに中止です。晩ご飯を食べてから町内を歩いて気が付いたのですが、ここ何年かのうちに暗い道を歩いても、大通り沿いだと犬に吠えられることが全くなくなりました。犬より猫の人気が高いことは知っていても、小型犬の散歩が目立つことは知っていても、町内から夜の人影に吠える犬がいなくなるほどとは考えたことがありません。夜の散歩が静かになったのは、人間だけでなく、きっと熊にとっても気兼ねなく歩き回ることができる町内なのだと思いが及びました。小学生の目撃談ということながら、隣のムラから自分たちのムラに向かって走っていったというのは、やはりこの熊、犬がいないと察したところ只者ではないようです。そしてこの熊、これから先の消息が分かりません。大きな体で何日も潜み続けるほどの茂みもなく、カモシカのようにヤツデやアオキを好物にしていることもなく、涼を求めて用水を下り海岸まで辿り着くかと思科するところです。心配なのは山への帰り道で、手取川を静かに遡って誰にも迷惑かけることなく仲間のところに戻ってくれるかどうか、それまで私は夜間の外出が禁止です。
posted by 丹保社労士事務所 at 2024年08月03日
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カレンダーの先走り
温暖化のせいにしていいのか分かりませんが、これまでになく雨が少なく乾いた暑さの梅雨になって、夏至に日の暮れに一日の長さを感じました。白山に残る雪は例年の同じ時期と比べて明らかに少なく、夏の水は大丈夫だろうかと心配しながらも、植え付けが遅れたカボチャやネギに水遣りが欠かせない日が続きます。今年は梅雨入りが遅いだけでなく雨の降りも少なくお天気のいい週末が多かったこともあり、研究会のメンバーに付き合ってもらって、6月から7月にかけてわずか1ヶ月半ほどしかオープンする期間がない「白山高山植物園」まで一緒に行くことができました。自分の膝のコンディションからして、白山に登ってお花畑のあるあたりまで足を伸ばそうとすると、自力で下山できるかどうか考えると不安が大きく無理な気がします。そんなことを考えることのないこの高山植物園はお手頃でした。白山連峰を三ノ峰まで見渡す展望台の様になった駐車場から、足元にササユリやギンリョウソウが潜む遊歩道が設けられたブナ林を抜けて、ハクサンフウロやイブキトラノオそしてニッコウクスゲなど一斉に花を開く高山植物園に至るプチハイクはお天気に恵まれると思いがけず贅沢をした気分になります。この植物園、元々は桑畑として開発された土地だそうで、養蚕が廃れて桑の木も切り払われた跡地の見晴らしのよさもあり、この地に高山植物を植えることを考えたそうです。作家の高橋治さんや地元の人たち大学の植物学者など多くの人たちの想いと努力を積み重ね長い時間をかけて公開できるまでになったという説明でした。ご案内いただいたのは、この構想の立ち上げの初めから長く携わり今はNPOの事務局長をされている小高さんでした。気候変動が激しく絶滅も危惧される白山の高山植物を種子から採取して苗を育てて花を着けるまで、最初からうまく進んだわけでなく多くの失敗を重ね研究を続けた結果なのだそうです。そして何より自慢すべきは、日本ではこの白山の植生は屋久島に次ぐ豊かな植生を誇るもので、白山の植物を守り白山の豊かさを守ることに力を注ぐNPOの大きな意気込みを感じました。そして、昔から南加賀で「やま」といえば白山ですが、いま白山市はこの山と川を市民統合のシンボルとしての取り組みをすすめ、白山を囲む地域からそれぞれの魅力を引き出し、白山はジオパーク・エコパークの視点から世界に誇る山として私たちの価値観を引き揚げてくれるようです。
posted by 丹保社労士事務所 at 2024年07月15日
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思春期並みのストレス反応
コロナが終息して日常の暮らしに戻っていると思っていましたが、実際はそうではなく、コロナが日常の生活に溶け込んできたと考えた方がよさそうです。給料計算をしているとコロナ感染を理由とする欠勤は殆どなくなり落ち行いて見えるのですが、これは風邪とか病欠とかと同じ扱いで特別な扱いをしていないので気がつかないだけだったようです。インフルエンザも同様で、症状が軽くて検査をしなければ本人は風邪と思って仕事を続けることもあるようです。だから、コロナやインフルエンザと認識しないまま感染が広がっているということになるのかも知れません。もちろん、ピーク時と比べると感染は減っていて危機感を抱くことはなく、症状も比較的穏やかになっていているので、日常の暮らしの中で対応できるようになってきたのだと思います。こんなことを考えたのは、私自身が、発熱と腹痛で仕事を休んだからです。発熱といっても普段から36度台半ばの体温が37度を少し超えるくらいの微熱で、初めのうちは感染症を考えることなど有りませんでした。むしろ、重く鈍い腹痛で気分が悪く、胃の調子が良くないのかと食事を抜いて暫く辛さを我慢していました。そのうち、寒気がして便意を催してきたのでトイレに入ると急に体の力が抜けるような感じになり、視界は薄暗くて額に脂汗が滲み動く気もしなくなりました。そのままじっとしているうち時間が経つと元に戻り楽になったので、近くのクリニックで診察をお願いしました。トイレでの出来事は血管迷走神経反射といわれるもので、血圧も心拍数も極端に低下していたそうで、失神することもあると言われました。ストレスや疲労蓄積が原因と考えられ、一つの前駆的症状としては腹痛も挙げられていることからこの症状と判断されました。後遺症はないそうですが、再発はあるということでした。予防は明解に休息ということです。ただ、自分で気になるのは腹痛が治まらないことで、胃薬を出してもらったのですが強すぎて胃液が戻るような感じになり、微熱といっていいレベルでの発熱も落ち着かないままで、何か感染症と関係あるようなものではないかと不安が残ります。高熱ではないので、事務所にはできるだけ顔を出さず、なるべく別室で仕事を続けるようにしたいと考えています。このあたり、コロナ期にテレワークの手法を真剣に取り入れていれば、もっとスマートな仕事のスタイルも確立できたかもしれないと、今になればコロナの反省点です。
posted by 丹保社労士事務所 at 2024年06月15日
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成長のための見直し
このたび、私どもの事務所では報酬料金を改定することとさせて戴きました。育児休業利用者の増大や雇用契約と労働条件の多様化に加え、マイナンバー制度やインボイス制度の導入により業務が著しく煩雑化し、さらに情報サプライチェーンのセキュリティ強化が求められています。これまで、事務所の業務規模拡大とスタッフの対応能力向上により報酬料金の維持に努力してまいりましたが、人件費や消耗品費など諸経費の高騰によりこれまでの企業努力だけでは対応が困難と言わざるを得ない事態に至りました。私どもの業務の質を向上させサービスの提供を継続するため、このたびの報酬料金の改定を実施することとしたものです。顧問先の皆さまには、何卒、諸事情をご賢察いただき、今後とも変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。なお、顧問先の皆さまにはメールマガジンやホームページを通じて経営情報の提供を行っていますので、紙によるニュース提供と併せ、是非、ご利用いただきたく強く登録をお勧めいたします。また、今後になりますが、紙による資料提供を電子データによる提供に切り替える時期もあるかと思いますので、こちらも早めに対応をご検討いただきたいと考えています。
デフレ経済からの完全脱却ということで、コストカット最優先の考えを成長重視の方向に転換し、賃上げと減税により投資を促すのが政策の様です。石油価格の長期的な上昇や最低賃金の大幅な引き上げ、食料品や公共料金の値上げが続くなかで株価が上がり、狙い通りインフレ気味に推移してきたのは政策が功を奏したのかも知れません。しかしこれを成長というには未だ実感に乏しい感じがします。高齢社会に於いて労働力不足は明らかで働く人の力を無駄にすることはできませんし、地域の賃金格差が解消しなくとも若年労働者の育成は怠ることができず、自らの事業を信じるなら投資をためらう理由がないだけだとも考えられます。ここを考えるヒントと余力が必要です。経営者・管理者に於いても雑務に囚われることなくコア業務に集中することが期待されます。私どもは、アウトソーシングとコンサルの両面から顧問先の企業の皆さまの事業をサポートすることが可能ですので、状況に応じてご利用いただければお役に立つことが多いと考えています。そのためには、私どもが今以上に能力を向上させることが必要です。顧問先の皆さまの役に立つ情報提供だけでなく、業務の改善を支援するソフトやツールの提供、人材の採用や育成を支援する仕組みづくりなど、私どもが成長の基盤となる業務を身に着けることも心掛けていきたいと考えています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2024年05月05日
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真似するだけでも健康経営
雪が少なく春が早いのかと思っていたら、春休みの時期が来ても気温が上がらず、桜の開花予想が遅れてきているようです。北陸の桜は入学式のイメージが私にありますが、いつの間にか卒業式に桜が当たり前のなか、もしかしたら今年は入学式まで花が残っているかも知れません。新入社員に場所取りをさせてカセットコンロで暖をとるなど前世紀風のお花見を見てみたくなります。駐車場の蕾の下でそんなことを想いながら、年度末ギリギリに健康診断を受けてきました。コロナが落ち着いて受診が増えたのか、一人だけなら何とでもなるだろうという期待は甘過ぎて、秋が過ぎたら数カ月の間は予約で埋まり、無理やり年度末にはめ込んでもらった状態です。この健康診断に限らず、私どもの事務所では、ここ一年ほど健康の維持改善に関係するイベントを実施する機会が少なくなってしまいました。コロナが明けて屋内も屋外もイベントが多くなって、まとまった時間を取り辛くなったことが一番の理由ですが、感染症対策をクリアしたあとは何となく健康に問題なく物事が流れていく安心感に溶け込んだような気がします。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」と定義されていて、病院での健診だけでは掴み切れない充足感までもが健康の条件になるようです。近年は、行政からも「健康経営」という言葉が出てきて、企業経営にあたり健康を支援し推進することに社会的評価が与えられるべきの考えが前面に出ています。経済産業省によると、「健康経営とは、従業員等の健康管理を経営的な視点で考え戦略的に実践することです。企業理念に基づき従業員等への健康投資を行うことは、従業員の活力向上や生産性の向上等の組織の活性化をもたらし、結果的に業績向上や株価向上につながると期待されます。」とし、「健康経営」は、日本再興戦略、未来投資戦略に位置づけられた「国民の健康寿命の延伸」に関する取り組みの一つ、と説明しています。国の経済の面からみれば、高齢社会になっても長生きするだけでなく長く働くことができる人を増やす点に重心を置いています。企業サイドから考えれば、働く人が健康で期待通りのパフォーマンスを発揮することを前提に雇用し就労しているので、労働力の質を維持するという面で一致してきます。アブセンティズム(心身の体調不良が原因による遅刻や早退・就労が困難な欠勤・休職など業務自体が行えない状態)だけでなくプレゼンティズム(出勤しているにも関わらず心身の健康上の問題が作用してパフォーマンスが上がらない状態)が問題にされています。私どもの事務所としても今いちど健康をテーマに、気持ちよく働き易い職場となるよう、セミナーやウォーキングくらいは再開したいと考えています。私自身もコロナ後は体重が増加傾向だと指摘されていて、私のレッドゾーン68キロを超えると制御できなくなる危険があると警告されてしまいました。軽いことしかできませんが、お付き合い頂ける方がいらっしゃったらイベントにもお誘いしたいと考えています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2024年04月02日
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まっとうな人と法の執行
仕事柄とはいえ、法律の執行や運用に不思議な感覚を持つことが多くなりました。私ども社会保険労務士が日常的に接する法律として労働基準法や労働契約法があります。労働基準法は昭和22年9月の施行で、労働契約法は平成20年3月に施行されています。労働基準法施行から労働契約法が施行されるまで60年ほどの間、労働基準法と民法の雇用契約のギャップを埋めていたのが最高裁判所判例であったり下級審の裁判例だったりということで、ここが労働法の面白いところであり面倒なところでもあるということになります。最高裁判例や裁判例が積み重なって労働契約法が制定されていると説明されることも多く、判例法が実定法に大きな影響を及ぼしている面白い世界が日本の労働法の世界です。面倒なのは判例の結論が全てではないという点で、裁判である以上は常に具体的な事例に適用された結果であり、僅かでも前提が異なれば結果が違ってくるだろうことを知っておかなくてはなりません。裁判例が残されているとしても、最高裁に上がったとき同様の判断がなされるかどうかも分かりません。社会保険労務士として印象深いのは、合衆国の確定拠出年金401Kに関する課税の扱いに関して地域により時代により真逆の判断が繰り返され、次第に非課税範囲が明確になるとERISA法の安定した運用が行われて日本でも導入が促進されたことです。判例法理に基づく日本での労働法の運用執行が不安定ということはなく、むしろ硬直的と受け止めている向きが強いかも知れません。雇われて働くことと働いた仕事に見合う給料を支払うことを深く考えるより、働いた時間に応じた賃金を支払うことを明確にするため、タイムカード打刻時間を客観的記録として在社時間に対し賃金を支払うことを法執行部門が求めるよりないからです。時刻の記録が義務化され唯一の記録がタイムカードだということの帰結です。いま、「働くこと」は「雇われること」と同義かも知れません。しかし、雇われて働くことは、時間を売ることでも無く、身体を売ることでも無く、仕事の面白さや働く喜びを捨て去ることでも無く、自らが働く意義を見出した働き方です。法律が相手にするのはギリギリの線で働く人達かも知れません。ただ、際どい働き方をする人達のために全うな働き方をしている人達にまで制約が及ぶことは迷惑な気がします。かつてのローマには労働法が存在せず、奴隷の貸し借りという考えで労働力を融通させていたそうで、借りた奴隷は元通りに返すなど安全配慮義務と似た考えも内包しています。奴隷の心身が分離して自分の心(持主)が自分の体(奴隷)を賃貸しできるなら、歴史的な話でなく観念的には賃金労働者が成立してしまいます。「働かない自由」だけ与えられたと言われる合衆国の黒人解放奴隷も比べ合わせて、いまの日本での働き方や仕事のあり方がこれまで通りの縛り方でうまくいくのか、働く場と働く人が一度に消えた能登を思いながら深くは考えずとも心配にはなってきます。
posted by 丹保社労士事務所 at 2024年03月05日
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能登からでた宝もの
このたびの能登地震で被災された皆さんに心よりお見舞い申し上げます。また、多くの方々から私どもにまでお気遣いやご心配いただき誠に有り難うございました。元旦の午後、年賀状を取りに事務所に出向いたところで地震に遭いました。大きく長く繰り返す揺れは震源から離れた土地でも逃げ場のない怖さを感じるものでした。事務所では棚から書類が飛び出すなど大変な事態でしたが人的な被害はなく、すべての職員は無事に出勤してもらっています。まずは事務所の状況をお知らせして安全のご報告とさせていただきます。
地震発生から一月近くが経って復旧作業が始まり、ボランティアの受け入れも始めたようです。私ども社会保険労務士として何ができるのか、既に社労士会の義援金の募集を終え、行政の特例措置など周知しながらその対応を支援していますが、この先も果たすべき役割は多いと考えています。直接的には、技能を生かした災害ボランティアとして自ら被災地に入ったり、その後方に回ったりしてボランティアの人たちにその力を十分に発揮してもらうことができます。要望が有れば被災地の社労士業務を代行することも可能です。労働社会保険行政の窓口業務も再開し始めて、復旧作業に関連する時間外労働や事業継続に備えた当面の休業措置或いは事業整理に向けた解雇予告、雇用調整助成金の特例適用や基本手当支給の特例措置または雇用保険の離職手続、従業員本人や被扶養者の健康保険証の再発行手続、場合によっては未払給与の計算、その他にも社労士がその業務に関連した領域で支援可能なことは少なくありません。ただ、制度面で対応の難しさを感じることも多くあります。雇用調整助成金は元々が経済情勢の変動を前提にした製造業の雇用維持を意図する構造を基盤にしていて、コロナの雇用対策を担った時期を経て対応し易くなっているものの、小規模事業者にとって少し無理を求められるところが有ります。ただ、1年のクーリング期間が取り払われたことで、かなり雇用調整助成金の使い勝手がよくなった印象があります。また、失業給付の基本手当が特例として在職中に受給できることは便利とはいえ、離職した際の受給権が不安定になることを考えると被保険者への説明に不安と難しさが残ります。地域行政の担当者自身が避難所で暮らしていたり、家族が遠く二次避難所に移ったり、負担が重くなっていることも伝わってきています。事業所が被災し、事業主が被災し、従業員も被災し、この先も事業として継続する途を見出すことの困難さは解消していません。仕事がないと人は暮らせませんし、人のいないところで事業は成り立ちません。人が暮らすには住む家も必要です。高齢者が多い地域で仕事のために家族がバラバラの家に住むことが好ましいとは思えません。地域の力をそのまま再生できれば無駄がないと思います。廃校になった、珠洲実業、輪島実業、町野高校、柳田農業、小木水産、他にも、飯田、宇出津、輪島、門前、志賀、富来、穴水、中島、七尾、羽咋、どこの学校でも地元就職を希望する生徒が多いといわれ、その地元とは市内でなく石川県内のことでした。事実、これまで、輪島や珠洲からは多くの人材が石川県に限らず広く各地に出ています。能登の宝とも思える彼らの力も借りながら彼らの縁を生かして能登を何とかできないかと想うところです。
posted by 丹保社労士事務所 at 2024年01月31日
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正月は年に二度
父や祖母がいたころの正月は年に二度ありました。一月は父の正月で二月は祖母の正月でした。正月も盆も雛祭も鯉幟も旧暦が生活に残っていたのは、明治生の祖母と大正生の父母がいたお陰です。今はお盆だけが8月ですが、雪の中の正月、陽春の雛祭、五月晴の鯉幟、北陸の暮らしに旧暦は違和感なく溶け込んでいました。正月が二度あった頃の我が家の二月正月は起舟まで鮮魚がなかったのか鰊と大根の麴漬にべろべろえびすが印象に残り、一月の正月では暮に鱈や鰤や黒豆や牛蒡など正月料理の準備をして元旦のお神酒の前に父が小蓋を出してくれた記憶があります。父の料理はこの時だけで小鮒と板蒲と何か少しですが、今になって思うと料理屋さんで出るものではないしおふくろの味とも全く違う趣のものでした。男の料理というほど力みがなく、家庭料理の普段味でもなく、由来が謎のまま、時々、父は自分の口に入れるものを調達していたようです。酒に合わせて、荒れた日の浜に上がったカワハギがあったり、子供は食うなといわれたタニシがあったり、粋がったものでなくこっそりとした印象のものです。これとはまた別に、どこで見分けるのか不思議だったのが草や木の芽で、自転車で出掛けて帰ると酒を温めてチビリと飲むのです。これが何だったのか、確かめたくて受講した和ハーブ講座の講師によると、海岸沿いの土地ではハマボウフが今も定番の様です。湯に通して酢をたらすと色が出て人気のアイテムとなり、これは料理屋さんでも並ぶのかも知れません。ほか、ハマウドやハマゴウなど、海沿いの和ハーブには山菜とは別の親しみを感じます。ただ、食べ方はちょっと問題で、講師に尋ねると何でも天ぷらになり、火を通して風味を閉じ込めると美味しくなるのは確かでしょうが、焼くとか蒸すとか試してもよさそうです。間違えると有毒なものも混じるので安全面から火を通すのが無難です。実は、柔らかそうで大きな芽を吹いた枝を見つけたので、きっとこれがハマウドと思い写真にしてGoogleで探してみたらセンダンと出ました。センダンには防虫効果がありその葉は鹿も食わないそうで、果実は抗酸化効果のあるサポニンを含み人や犬には毒性を有するとのことでした。加熱で変性する毒ですが新芽も危ういので苦にするのはやめました。でも、このサポニン、ゴボウにも含まれていて、母が最後に作ってくれた正月料理が灰干牛蒡だったことを思い出します。青魚が苦手の母がアクを抜いて頼りなくなった灰干牛蒡を再現するのも、麹漬と同様に簡単そうで何時でも聞けると思っているうち教わるのが難しくなってきました。
posted by 丹保社労士事務所 at 2023年12月31日
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なぜ植物図鑑50年に和ハーブか
なぜ植物図鑑50年に和ハーブか
植物図鑑と言うと中平卓馬をまず初めに想い浮かべます。この事務所報の表紙写真を依頼している武内正樹が惚れ込んだ写真家の代表作です。ついでに、急性アルコール中毒による記憶喪失、所在不明のジャズシンガー安田南のうわ言、写真以外のことが記憶に留まっている写真家です。この「なぜ植物図鑑か」も写真集でなく評論とされるもので、だから私の本棚にも並ぶサイズになっています。牧野植物図鑑に悪ノリしたわけでなく、中平植物図鑑から50年を経て回顧展が企画される時代になってしまいました。「なぜ植物図鑑か」を本棚から引っ張り出す気力は薄れ、私の植物図鑑は花づくり野菜づくりの作業マニュアルで、和ハーブや和紅茶と言われて未知の領域に引きずり込まれそうな所にいます。和ハーブと言うのはヨモギやドクダミなど私達の足もとに生えている植物で、医者に掛かることの出来なかった時代から薬効が認識されていたものを言うそうで、トリカブトなどの毒もまた認識され利用されていたということです。子供の頃を思えば、年老いた祖母はガマの穂を常備して怪我の手当てをしてくれたり、ヘビの抜け殻を熱冷ましにしたり、チドメで出血を押さえたり、救急とも漢方とも違うまじないの様なことをしてくれました。母は母で、ヨモギやドクダミにクコやらササやら何やら有り難みのない煎じ薬の様なものを飲ませてくれた覚えがあります。面白いのは父親で、普段は料理しないのに、たまに刺身など作ったりすると浜か何処かから気に入ったものを採ってきて、それで一人して飲むのです。これは究明すべきと考えて、至った先が和ハーブという領域です。和ハーブを自分の足元の植物として一括りにすると、本州では修験道に由来する伝統があり、北方ではアイヌ文化に由来する流れがあり、南方では沖縄文化に由来する流れがあるそうです。南方では高地に自生するのが北方では海岸に自生するなど、気候が違うので植生が異なり、その利用方法に違いがあり毒性植物も異なるため注意が必要ということです。和ハーブという括りは古くからの伝承が途絶えると新鮮味があります。一方では何代も住み続けている地域から発見もあることと思います。私には父親が酒に合わせていたのが何か突き止めたい気持ちが有ります。まず挙がったのがハマウド、今も人気のあるのがハマボウフ、想定外だったのがハマゴウでした。ハマウドの名の植物が見当たらず、少し似たものを調べてみるとどうやらセンダンの幼木らしく、放置するととんでもない大木になるので伐採した方がよさそうです。ハマボウフは料理屋さんでも湯通しで出てきて酢で食べるといいようです。ハマゴウは香りがいいとうところまで分かったのですが食べ方はよく分かりません。分からないときは天ぷらが無難な食べ方と考えておけば間違いないようです。調理の腕を磨くことも考えねばなりません。話が戻りますが、植物図鑑の中平卓馬、モノクロたて置きの写真が多いそうで、武内正樹もその傾向が強く、近いうちに表紙レイアウトの変更を考えています。ご期待ください。
植物図鑑と言うと中平卓馬をまず初めに想い浮かべます。この事務所報の表紙写真を依頼している武内正樹が惚れ込んだ写真家の代表作です。ついでに、急性アルコール中毒による記憶喪失、所在不明のジャズシンガー安田南のうわ言、写真以外のことが記憶に留まっている写真家です。この「なぜ植物図鑑か」も写真集でなく評論とされるもので、だから私の本棚にも並ぶサイズになっています。牧野植物図鑑に悪ノリしたわけでなく、中平植物図鑑から50年を経て回顧展が企画される時代になってしまいました。「なぜ植物図鑑か」を本棚から引っ張り出す気力は薄れ、私の植物図鑑は花づくり野菜づくりの作業マニュアルで、和ハーブや和紅茶と言われて未知の領域に引きずり込まれそうな所にいます。和ハーブと言うのはヨモギやドクダミなど私達の足もとに生えている植物で、医者に掛かることの出来なかった時代から薬効が認識されていたものを言うそうで、トリカブトなどの毒もまた認識され利用されていたということです。子供の頃を思えば、年老いた祖母はガマの穂を常備して怪我の手当てをしてくれたり、ヘビの抜け殻を熱冷ましにしたり、チドメで出血を押さえたり、救急とも漢方とも違うまじないの様なことをしてくれました。母は母で、ヨモギやドクダミにクコやらササやら何やら有り難みのない煎じ薬の様なものを飲ませてくれた覚えがあります。面白いのは父親で、普段は料理しないのに、たまに刺身など作ったりすると浜か何処かから気に入ったものを採ってきて、それで一人して飲むのです。これは究明すべきと考えて、至った先が和ハーブという領域です。和ハーブを自分の足元の植物として一括りにすると、本州では修験道に由来する伝統があり、北方ではアイヌ文化に由来する流れがあり、南方では沖縄文化に由来する流れがあるそうです。南方では高地に自生するのが北方では海岸に自生するなど、気候が違うので植生が異なり、その利用方法に違いがあり毒性植物も異なるため注意が必要ということです。和ハーブという括りは古くからの伝承が途絶えると新鮮味があります。一方では何代も住み続けている地域から発見もあることと思います。私には父親が酒に合わせていたのが何か突き止めたい気持ちが有ります。まず挙がったのがハマウド、今も人気のあるのがハマボウフ、想定外だったのがハマゴウでした。ハマウドの名の植物が見当たらず、少し似たものを調べてみるとどうやらセンダンの幼木らしく、放置するととんでもない大木になるので伐採した方がよさそうです。ハマボウフは料理屋さんでも湯通しで出てきて酢で食べるといいようです。ハマゴウは香りがいいとうところまで分かったのですが食べ方はよく分かりません。分からないときは天ぷらが無難な食べ方と考えておけば間違いないようです。調理の腕を磨くことも考えねばなりません。話が戻りますが、植物図鑑の中平卓馬、モノクロたて置きの写真が多いそうで、武内正樹もその傾向が強く、近いうちに表紙レイアウトの変更を考えています。ご期待ください。
posted by 丹保社労士事務所 at 2023年12月22日
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