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丹保敏隆
代表 :丹保敏隆
[ 丹保社会保険労務士事務所 ]
石川県小松市日の出町一丁目112
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生きるリスクと言われること

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 昔なら生きているだけでも運が良かったと言われる癌のような病気でも、医療技術と健康保険の充実により、退院して治療を続けながら生活できるレベルまで回復するようになっています。ただ、会社や同僚への遠慮と治療に専念する気持ちもあって早々に離職してしま人も多く、費用の嵩む長期の治療を続けながらハンディ付きの求職活動をしても就職は困難で、病気は克服できてもその先に「生きるリスク」が続くということです。そこで言われるのが“治療と職業生活の両立”ということで、「不治の病」の多くが「長く付き合う病気」に変化していることを理解したうえ、個々の就労のために就業上の措置を講じて治療に対する配慮を行うことを健康確保対策と位置付けて、この環境整備の取組がガイドラインとして厚生労働省から示されています。産業保健センターで促進委員をしている社会保険労務士の方の話によると、病気そのものや職場復帰について本人も会社も理解していなことから「退職」という選択に至ることが多く、まず両立支援についての周知と啓発が求められるようです。そして、実際に就労を考えるにあたって困るのは、先の見通しが分らないため労使共にどうしていいか分らないということ、従業員は病気再発の不安を抱え事業主は病者の就労に責任を感じるということだそうです。そのため、この取組について本人からの申出を前提に会社がフォローする仕組とし、個人情報保護を明確にして本人の仕事の情報を主治医に提供したうえ就業上で必要な措置等に関する意見をもらい、会社は産業医の意見も聞きながら復帰の可否を含めた就業上の措置を決定し実施することになります。このとき、会社として難しいのは、主治医が治療の対象となる患者としてしか本人を見ておらず、ほとんど病院よりほか職場を知るはずのない主治医に対して意見をもらうことができる程度に具体的な仕事の情報を提供するということがあります。まだ始まって間もない取組で、ワークライフバランスあるいは雇用のダイバシティということにもなりますが、従業員本人にとっては仕事の継続と収入の確保、会社事業主にとっては人材確保とモチベーション向上、医療機関にとっては治療の継続と支払能力の向上、そして社会的には就業により社会とつながり活躍する人が増えることに意義を見出されています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2017年02月13日 | スモールトーク

白山1300年にディープな石川

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 あらたまってヤマといえば白山とのことを云うのが明治生まれの祖母であり大正生まれの母でした。西の砂丘地の防砂林も身近なヤマでしたが、遥か東に横たわる白山は形容詞のつかない特別な「ヤマ」でした。加賀平野に暮らす者にとってのザ・ヤマである白山は今年2017年が養老元年(西暦717年)の泰澄大師の開山から数えて1300年にあたるそうです。この白山について観光マイスター辻さんから研究会の場で話を聞く機会がありました。白山は修験道の山として開かれ、古くは越前(平泉寺)‣加賀(白山比盗_社)・美濃(長滝神社)の三馬場から入山し、現在の石川県側市ノ瀬からの登山道は越前禅定道の一部とされています。NHK大河ドラマ真田丸に映しだされた真田屋敷床間に掛かる「白山大権現」軸は真田の産土神である山家神社の白山信仰に依るもので、全国3000社を数えるという白山信仰の広まりが分かります。白山比盗_社に祀られる菊理媛(ククリヒメ)は小松(高麗津)と結びつけて高句麗姫とされることもあり、その信仰は美濃石徹白の御師と呼ばれる人達が冬場に薬草や御札を持って布教活動して全国に白山神社を拡張させたそうです。白山神社は石川県より岐阜県に多く、福井県・新潟県・愛知県にも多くあり、白山山頂の領有には争いのあったことが伝えられています。江戸時代に加賀尾添と越前牛首の住人による白山争乱により白峰は天領とされ、境界住人は能登門前の山是清に移住させられたことが最近になって分かったそうです。その後、加賀藩に仕え石川県庁に務めた森田平次により明治になってから白山頂上は石川県に編入され、平成になると山頂を有する山手の村々は松任・鶴来・美川と合併して日本海に面する「白山市」となっています。一向一揆や廃仏毀釈を経て加賀平野のシラヤマさん信仰は遠い昔に変質しているのでしょうが、折々に仰ぎ見る白山からは時に厳しくヤマの力を与えられ時に優しくヤマの安らぎを与えられています。そして、北陸新幹線開通で首都圏から白山比盗_社に詣でる人は、結界を超えてナマのお神楽に遭うと金沢にはないディープな石川に踏み入れることができるようになりました。
posted by 丹保社労士事務所 at 2016年12月30日 | スモールトーク

はとバス食いだおれツアー

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 正月ラグビーが先だったかプロ野球開幕戦が前だったか、東京に遊びに出たのは久し振りのことです。月曜日の研修を日曜日に前泊の日程を組んで、小春日和の東京都内をはとバスの人気ツアーで巡りました。このコース、朝昼晩の三食がセットになっていることを目玉にしていて、最近のテレビ番組で紹介されてから参加者が多くなったそうで、ちょうど増発便を出していたのでこれに乗せてもらうことができました。車窓から富士山を望みながらの北陸新幹線が東京駅に到着したのは8時30分ころ、すでに金沢駅から乗り込んですぐにコーヒーとサンドウィッチやら何やらで少し腹ごしらえをしてからのスタートです。9時10分発車のツアー増発便はほぼ満員でした。もしかしたら、京都の観光地のように、日本語の通じない人達が大勢いるかも知れないと思っていたところ、乗客は見た目にみんな日本人ばかりでテンションは緩みました。江戸味覚食い倒れツアーとネーミングされたはとバス人気ツアーの最初の訪問地は築地場外市場、ここで握り寿司の朝食です。金沢の回転ずしと比べつつ軽く平らげてから、市場の混雑の中を通って報恩講の案内板の上がった築地本願寺へと一回り、もう一度、食い過ぎないよう気をつけながら市場を抜けました。次は昼食。秋の陽射しを受けながら荒川沿いの高速道路をゆっくり時間をかけて柴又まで移動です。まずは、老舗川魚料亭で穴子丼が準備されていました。ウナギでなくアナゴということで何となくサラッと食べ終え、大判焼をほおばりながら帝釈天から柴又駅あたりを散策しはとバス優待料金で寅さん記念館に入ってみると、懐かしい16ミリフィルムを大小の缶ごと展示してあります。ここを出てからたっぷりと水を湛える江戸川の堤防を歩いて料亭に戻りました。午後は両国、国技館の焼き鳥の話を聞きながら巨大な江戸東京博物館を歩き回ったのはいい腹ごなしです。そして、夕食は、東京スカイツリーを眺めながら着いた浅草の天ぷらでした。雷門から仲見世を歩きながら気になる人形焼きを食べてから、天ぷら屋さんでビールを飲んでいたら日が暮れて浅草寺は閉門しライトアップしていました。
posted by 丹保社労士事務所 at 2016年12月03日 | スモールトーク

十年目の展示会

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 地元の能美市商工会の合併10周年を記念する展示会・物産展に石川中央労務研究所として出展しました。商工会に加盟する事業者の皆さん数十社が参加される中の1ブースをお借りして、出展にご賛同いただいた研修スタッフの皆さんにご協力いただき、ポスターを掲示しDVDを流しながらチラシを配布するという形になりました。このような展示会に参加するのは初めてのことで、当日はどのような方に来て頂けるのだろうと考えながら、来場数も分らず配布資料をどのくらい準備していいか分らないままにスタートしました。社会保険労務士事務所としての参加ではなく石川中央労務研究所として、複数のスタッフにより幅広い領域から人材育成・福利厚生・事務代行など人的資源の活性化をサポートするというコンセプトを固めて、ヒトづくりと企業風土の醸成を意識して臨みました。何人かが集まって準備を進めるなかで、無料の社員教育診断や助成金診断、採用や配置のための適性診断、各種セミナー研修のスタッフ紹介、パワハラセクハラマタハラ対策、育児休業からの職場復帰支援、選択制確定拠出年金の案内、労働災害の防止と補償、などなど自分たちが皆さんにご紹介できるコンテンツを盛りだくさんに抱えていることに改めて気がつきました。実際の来訪は期待したほど多くなく、特にいわゆる一般客が少なく、出展企業のスタッフが目立つ状態で、50部ほど用意した配布した資料が少し余ってしまいました。展示会ということで営業部門の担当が多かったのですが、企業の人材育成や福利厚生に関わる自分たちの立場からすると、企業内部の方と接する機会を得ることができたと考えればそれなりの評価はできるものと考えています。そして、出展して得ることのできた一番の成果は、出展のための準備のプロセスを経て、自分たちのできること期待されることは目の前に多くあることを確認できたこと、実現の途は自分たちで切り開く必要があることを明確にできたこと、この二つのようです。
posted by 丹保社労士事務所 at 2016年11月03日 | スモールトーク

知ると不安な情報セキュリティ

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 士業やコンサルタントなど異業種の人の研究会で、ITコーディネーターの話を聞く機会がありました。普段からメールやFacebook、仕事ではe-Govや電子申請など、私達はITから避けることのできない環境下にいますが、これまで情報セキュリティについてきちんとした話を聞く機会がありませんでした。ITコーディネーターというのは小規模企業のIT活用を支援しIT経営を実現するプロフェッショナルであり、企業の情報資産の保護と情報システムの安心安全な利用を図ることが情報セキュリティの目的だということでした。近年の情報セキュリティの脅威は多く出現し、カード情報の不正利用や標的型攻撃そしてランサムウエアと呼ばれる身代金要求型のものもあって、小規模企業においてもこれに対抗できるよう最低限の対策が必要だということです。まずOSやソフトに関してはバージョンチェッカーなどで更新状況を確かめて最新の状態に維持すること、ウイルス対策に関してはウインドウズだけに頼らず無料でも十分なので確実なソフトを導入すること、そしてパスワードに関しては8ケタ英数記号を交えたものにして6か月に一度は更新するなど適切な管理をすること、いつも言われていることですが手落ちのあるところです。さらに、メールやFAXの誤送信も重要なセキュリティ対策でありクリック前の再確認は大切なことであり、問題発生時に備えてシステムイメージのバックアップを取って回復ドライブを用意しておくことも有効であるということでした。日常の業務に欠かせないITの足許を固める情報セキュリティですが、思わぬところに穴があるような気がして聴くほどに不安が広がり何から手を付けるべきか迷ってしまいます。
posted by 丹保社労士事務所 at 2016年10月02日 | スモールトーク

嵯峨野踏切に蒸気機関車

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 ホテルの朝食はバイキング。何故か外で朝食を摂ると普段よりずっと多くなってしまいます。特に今回は、つまんだパンが甘いアンコたっぷりの蓬パンと甘い生地のクロワッサンという予期せぬ味覚に混乱し、お腹も気持ちも落ち着かないためリセットしてお粥と煮物で口直しとなり、二食分を一度に食べてしまったような気分でした。腹ごなしのつもりで市バスの一日パスで河原町に出て、丸太町を新島邸から有栖川邸まで御所にも少し入りながら歩くと烏丸通では一服にちょうどいい時間になったので、マクドでコーヒー飲みながら思案するうち午後は梅小路機関区の鉄道博物館に行くことにして、直行バスが分からないので一旦は京都駅に向かうことになりました。ターミナルでバスを乗り換えて梅小路に着くと山陰本線二条駅を思い出す木造駅舎が見えてきて、博物館に入る前から嵯峨野の踏切を蒸気機関車が貨物を引いて通っていって驚いた頃の雰囲気に引き込まれてしまいます。車輪周りに油が染み出た蒸気機関車は今も出番を待つかのようで、遠い昔に大聖寺駅で出札していて日本中の駅名を覚えていた父親の自慢話を聞きたくなりました。沢山の人達がプライドを持ち人生をかけた鉄道の世界は、多くの人を引き込む魅力ある世界であり、もう一度、鉄ちゃんではなくても一人でゆっくり時間をとって回ってみたい博物館でした。
posted by 丹保社労士事務所 at 2016年08月02日 | スモールトーク

梅雨が明けるかよい宵山

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 いつもなら梅雨が明けるか明けないかの時期、金沢はお盆で雷雨の合間を縫って早めに墓参りを終え、二つ三つ用事を束ねて午後のサンダーバードで京都に向かうと、四条通は祇園祭の宵よい山で賑わっていました。巡行までもう一晩あるのでブラブラと歩くつもりが、金曜日の晩ということで浴衣に団扇の準備も整えた姿も目立つ地下鉄から外に出ると思いのほか人出が多く、狭い小路にも屋台がびっしりと並ぶ中を流れに任せて通り抜けるうちに気持ちも昂りました。まずは、いつもの食堂で卵焼きと野菜炒めと味噌サバで腹ごしらえ。まだ空が明るいうちからビールを飲んで風に撫でられ街を歩くのは久し振りことのように思いながら、車両の通行が止められたばかりの大通りを月鉾から鶏鉾と歩行者も一方通行になって脈絡もない経路で長刀鉾の下に辿り着いた頃には日も暮れ始めて、汗の浮いた身体にもっとビールをプレゼントしたい気持ちを抑え自分の足で歩けるうちに宿に戻ることにしました。
posted by 丹保社労士事務所 at 2016年07月30日 | スモールトーク

梅雨の晴れ間にラグビー観戦

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 百万石まつりが終わった次の日曜日、梅雨の時季にしては明るい陽射しを受け落ち着いた風が吹き抜ける陸上競技場で、母校のラグビー定期戦を観戦してきました。夏の風に吹かれて汗をとばし緑濃く育った芝生を眺めながらガブガブと飲んで応援するラグビーは、厚着してウイスキーを舐めて見るのとは一味も二味も違う趣でした。ゲームは22対28、数字だけだと両社トライ数は4で並びゴールで差がついたという結果で、横浜にいるラグビーファンの同窓生からは接戦の末の惜しい試合と印象だったようです。ただ、スタンドから見ていた印象ではエリアやスピードから得点以上の差がある感じがしました。モールやラックに持ち込んだりセットプレーになると互角以上とも見える我が母校ですが、密集からオープンに展開するとノックオンが目立ち、何度もインターセプトされたのは相手ディフェンスのプレッシャーが大きかったようです。オリンピックに向けてセブンス候補選手が抜けてベストメンバーを組める時期ではなかったことも一因か、自陣でのインターセプトから一気にゴールポスト下までの独走トライを続けて決められるなどもろさが見え、学生チームを冬の選手権に向けてこれから作り上げていくプロセスにも関心が向きます。チームづくりとしてみると、ワールドカップラグビーを目ざした日本代表チームにも関心が集まります。15年の南アフリカ戦ではゴールキックの画ばかり流されましたが、バックス陣に限らずフォワードやハーフの選手たちがサンウルブズほか各地のチームに散っていて、彼らが代表チームに集結したときどんな役割を果たすのか、世界レベルに近づいた活躍を見るのが楽しみです。
posted by 丹保社労士事務所 at 2016年07月19日 | スモールトーク

PCにも5月の大暴風

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 ゴールデンウイークの前から毎日のように風の強い日が続く4月5月でした。マストを立てたまま陸に上げてあった小型艇が倒れたり自宅の物置が傾いたりと、例年のことを想っても並みの風の強さではありませんでした。南からの安定した強い風が長時間に亘り吹き続け、冬の西からの季節風や台風の風とは少し違う被害が発生しました。
 マイクロソフトのウインドウズも5月に大暴れし、無防備に構えていた事務所では一時的に業務が中断してしまいました。ウインドウズが新しく‟10”になり‟7”や‟8”から無償でアップグレードできるということは知っていたのですが、評判のいい‟7”から急いでアップしなくてもこのままできるだけ長く使い続ければいいと考えて、「無償アップグレード」には乗らない方針で対応を固めていました。‟XP”から‟7”に変えたことを思い出しながら、OSを更新した後の各種ソフトの対応に不安が有ったこと、外部の接続機器もすべて対応するのか不明だったこと、画面表示や操作手順などの使い勝手が変わること、実際には日常業務で余計な手間や費用が発生することに対する抵抗感も残っていました。使えるところまで使うつもりでいた‟7”でしたが、週明けに事務所に出てパソコンに電源を投入して席に戻るとアップ作業が始まっていました。余計な操作をしてしまったのかと思い作業を中止しようにも手の着けようがありません。「電源を切らないでください」との表示に、電源を切れば作業は中断するかもしれないと考えて強制Offしても、電源Onにするとすぐに更新作業を再開してしまいます。どうにもできないので、あちこちに電話を入れてみると私だけではない様子が窺えるようになり、マイクロソフトに対応を訊くしかないことが分かりました。しかし、相談窓口はずっと通話中で「混んでいます」のメッセージが繰り返されるだけで、そのうちにアップグレード作業が完了してしまいました。翌日になってようやくアップ後一定期間中なら「回復」作業ができるということが分かり、業務を中断したまま二日かけて何とか元に戻すことができました。その後、暫らく日を置いて別のマシンも順にアップが始まりましたが、二台目からは半日ほどで回復させることができるようになりました。ところが、問題も明確になり、一度アップしたOSの実体は‟10”でありすべてのソフトが対応しているものではなく、OSは無償でもソフトの更新は有償で進めざるを得ない状況に置かれていることが分かりました。稀にみる強風の被害に加えてウインドウズの暴風被害、ゴールデンウイーク後に予期せずして生じた時間の浪費と費用の急増はこの後も尾を引きそうです。
posted by 丹保社労士事務所 at 2016年06月04日 | スモールトーク

今は忘れた伝説か遠い時代の迷信か

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 九州熊本の地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。熊本、島原、玉名、阿蘇、ほか全ての地域の早急な復旧をお祈りしております。ボランティアの皆さんの有意義な活動を応援いたします。
 どちらかといえば大きな自然災害の少ない北陸で、伝え聞くのは昭和5年の大聖寺地震や昭和9年の手取川洪水そして昭和23年の福井地震の凄まじい様子であり、また、忘れられないのは平成9年のナホトカ号重油流出や平成19年の能登半島地震では多くのボランティアの方からの支援です。昭和5年と想われる地震は二度続けて起こり後の地震の方が揺れは大きかったそうで、慌てて外に飛び出した母の話では、いちばん下の弟が居ないことに気がつき急いで中に戻ると、幼くて怖さを知らない弟は揺れる家の中で大はしゃぎしていたということです。このあと大聖寺では昭和9年の大火事で町の多くが焼けたことを父から聞いており、同じ昭和9年には手取川で大洪水が起きて下流域でも多くの家が流されたことを母から聞いています。家が水に浮き屋根で人が手を振りながら流されていったそうです。昭和23年、地震のレベルが当時として最大規模の直下地震とされる福井地震は火災によって多くの人が亡くなり、地震で生じた地割れに挟まった人もいたとの話も伝わっています。地震が東へ移動するという伝説(迷信)により、小松あたりでも余震による家屋の倒壊と地割れの発生を警戒して、夏場ということもあってか、屋外に梯子を渡してその上に寝ていたという話を聞いたことがあります。大聖寺地震も福井地震も震度レベルは当時として最大階級とされる震度6と記録されており、福井地震をきっかけに震度7が追加して設けられたそうで、能登半島地震も震度6ですが震度階級はもう一つ上に「7」のある「6」となります。能登の震災の象徴とも思える門前の総持寺など、もとから人の少ない地域での復興には長い年月を要しています。ナホトカの頃にはボランティアで勤務先に休暇を申請しようとしても一部の偏向した「活動家」のように睨まれていたのが、能登半島地震のころになると中小企業にとっても従業員のボランティア活動はステイタスともいえるポジションを得たようです。限りある時間の中で出来ることは多くありませんが、自分達が子供の頃から親しんでいた海岸を多くの人達に守ってもらったことを忘れることはありませんし、私にも何か必ずお返しする機会があるものと考えています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2016年05月04日 | スモールトーク