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丹保敏隆
代表 :丹保敏隆
[丹保社会保険労務士事務所]
石川県小松市日の出町一丁目112
HOWDID118-202
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KY式ソンタク

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 空気を読むことを知らない者にとっては、何で騒いでいるのか議論の盛り上がりを掴みきれないうちに話題が集結し、課題の解決を避けることが結論であるかと思うような話がときどき見うけられます。「夫婦の老後資金として30年間で約2000万円が必要」との試算をした金融審議会の報告書の提出に対し、担当大臣が「不安と誤解」を理由に受領を拒んだため審議会は事実上これを撤回したとのこと、選挙前の空気を読むことができる人にとっては当然の決着のようです。公的年金を受給できてもこれと別に老後の生活のために65歳の時点で2000万円もの資産を用意するのが難しい人が多く、年金だけで安心して生活するには毎月5万円の増額が必要という結論に至る経路を選挙前に封鎖することが重要だったのです。報告書に盛り込まれた試算の内容ではなく報告書を提出する時期を問題にしているようでもあり、このあたり、提出に際し審議会が担当大臣の胸のうちを十分に忖度し尽くした報告でなくてはならないことを示したとも見えます。おそらく、この審議会は幅広く意見を問う趣旨でなく特定の方針を補強するため設けられ、目的に沿わない内容であったため報告を撤回したとでも考えないと、諮問委員会などの活動は大臣の考えを忖度しないと成り立たなくなります。何とも面倒な世だと思いますが、皆が場の空気を読み他人を忖度する中で、そのような技量を身に着けることのない者は迷惑な存在となりつつあるようです。同業の人達との話の中で驚いたのは、「他人の顔色を読む」ことは仕事の大事な一部分であり、「他人の機嫌を取る」ことが人の管理の根幹となる、という考えが当たり前になっていたことです。私の開業時と比べると、大企業・大組織に就職しバブルの時期をそこで過ごした人たちが多く、このような領域でコミュニケーション能力を磨いてきた世代なのかもしれません。私など幾ら忖度したくても相手の心が読めず、人並み以上に配慮されていても気がつかず、どうやら、この中では扱いにくい人間のひとりになっているようです。そう考えると、自分では気楽に毎日を過ごしているつもりでいても、見えないところで多くの人達に支えてもらっていることが分ります。また、この先、嫌われ者のバブル世代や八方美人のロスジェネ世代に支えてもらうよりないことも確かです。
posted by 丹保社労士事務所 at 2019年07月30日 | スモールトーク

天領黒島洋式和船

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 お旅まつりもおかえり祭りも終わって、初夏というより真夏並みの気温になる日が続き、海辺から山を眺めると大日山の雪は消えて白山が涼しげに雪を残すのみになりました。気温が高いとはいえ湿気は少ないようで、日陰で昼寝するには心地よい浜風が入ってきています。もちろん、休日の朝から昼寝というわけにはいかないので、少しだけ花壇の草むしりをしてから能登の外浦を海岸線沿いに車を走らせてみました。書店の店長から北前船で栄えた黒島にある廻船問屋住宅の見学を勧められたので、翌月に内浦の方で計画しているイベントの下見を兼ねて出かけたものです。今は輪島市に編入されていますが、以前は門前町の一部であり、合併されるまでは黒島村として明治時代になるまでの天領としての自治の伝統もあるようです。黒瓦に板張りの家屋が海岸沿いの斜面に密集した集落を県道から見上げると、きっと何度か県道を通った人にはここだったたかと思うぐらいに印象的で、能登半島地震のあと同じ大工さんが施工したからという理由だけではない町づくりと復興への意欲を感じます。ゆっくりと歩いて廻るのも面白そうな街並みでしたが、国の重要文化財に指定されている旧角海家住宅が公開されていて、こちらと北前船資料館を案内してもらうことができました。北前船と聞くと江戸時代の帆かけ舟というイメージが先行しますが明治になってからの交易の方が多いとされており、明治期に奉納された絵馬に描かれている北前船は舳先に三枚のジブセールを張り艫にもスパンカーが附いています。ただ、洋式の艤装はセールの数だけ人手が掛かり、数名で済んでいた乗組員が十名以上も必要だったそうです。地元だけで船大工や乗組員を集めるのも大変なので、大阪に拠点を置くようなことを考えたり、船主は万一に備えて農地を少しずつ買い集めておいて、海難の際には船員の家族に小作としてこの農地を分け与えるなどの対応を考えたりしていたようです。単に輸送だけでなく寄港地で積荷の売買も業としていた北前船は船頭の才覚によるところも大きく、電信と鉄道の発達で次第に商社的機能を兼ね備えた海運が商売として成り立たなくなり、汽船の普及により役割を終えたそうです。もともと黒島に大きな港は無く福浦が風待ちで、今は改良された隣の鹿磯漁港からイカ釣り船の船団が日本海沖を目指して出ていきます。
posted by 丹保社労士事務所 at 2019年06月07日 | スモールトーク

大聖寺の町越しに残雪の山並み

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 まさかと思って本気で準備をしないままに迎えた御代替りの十連休は写真機の手入れから始まりました。今どきのデジカメを分解修理するわけではなく、バッテリーに充電してレンズのゴミを吹き飛ばすくらいしかできません。あとは、あちこちのメモリーに散らばっている古い写真を一つのファイルにまとめると、少しは整理した気分になりそうです。しかし、お天気のいい日に昼間から取り組むには落ち着かない仕事だと分かり、充電を終えた写真機を持って出掛けることにしました。海上から見ると春の雪を残す白山が見事だという話をしていた後でもあり、連休前に値上げしたガソリンを補給して八号線を南に走り、きっと白山が見えるだろうと大聖寺の町に入って錦城山の城跡に上ってみました。何年か前の研究会のスピンアウト企画「古地図で歩ける町」として案内してもらったとき上り口までは来たところです。一月ほど前に大聖寺藩の歴史を聞いたときにも行ってみようかと思っていた場所だったので、ようやくチャンスが巡ってきたという感じがします。駐車場に車を停めると、まさに上り口という通り本丸あたりまで階段が整備されていて、一向一揆の鳥越城ほどではないかもしれませんが、何の準備もなくいきなり歩くには少しためらうような勾配からのスタートでした。勾配がきつい分だけ確実に高度を稼いでいるので少し歩くと町を見渡すほどの高さになり、木が茂っていなければ城からの眺めは大聖寺の町を隅々まで見通すことができるかと思うほどです。回遊した下り道の途中に眺望のため木を伐り開いた斜面があり、ここから少し地肌を見せた白山をきれいに見ることができました。この城では関ヶ原の戦いの前に実戦を経験し、秀吉の直臣で城主の山口玄蕃が加賀藩初代藩主となる前田利長の大軍に攻撃を受けて、わずかの軍勢で果敢に抗戦する山口玄蕃に多大な被害を被った前田利長は玄蕃の降伏を許さず、前田勢の復讐戦に大聖寺城は陥落し城主玄蕃父子は自害したということです。そして、錦城山入城から落城まで2年ほどしかないこの玄蕃、今も大聖寺の町の人達から愛され親しまれているそうです。
posted by 丹保社労士事務所 at 2019年05月04日 | スモールトーク

今が節目の新年度

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 4月は区切りよく月曜日からのスタートです。自分にとってもいくつかの節目なる新年度の始まりです。昨年度は社会保険労務士制度創設50周年の行事が多く、この業界としては新たな時代に入ったという意識をもって臨んでおり、私自身の登録証には社会保険労務士として登録したのが1984年と記録されていて社労士業務に関わって35年を経過することになります。平成の年号もこの4月いっぱいですが、私が登録したのはもうひとつ前の昭和の時代で労働省や社会保険庁が存在していた頃で、この先しばらくすると業界の中でも段々と珍しい存在になってしまいそうです。また、事務所としても平成16年の実質的な開業から15年を経過し、ちょうど平成の半分の期間を事務所の仕事に充てたことになります。年度替わりのこの時期、私はよく「節目」ということを言いますが、働き方改革など大きな流れの中に在る今の自分自身が節目に差し掛かっているように思い、内も外も変化せざるを得ない環境の中にいて自ら意識的に変わるに相応しい頃合いに来たかと考えています。この年度末、昨年の春からのことを振り返ってみると、自分の人生のキーストーンとなった人が相次いで亡くなりました。いつでも会えると思いずっと会えなかった学生時代のサークルの先輩、在職中は勿論のこと退職後も講師に亘りお世話になり続けた会計事務所の先生、開業前からお声をかけて頂き独立するにあたり心の支えでもあった社労士の先生、感謝の言葉もお礼の言葉も十分に伝えることができなかったことが心残りです。そして、つい十日ほど前、遠く及ばないとはいえ事務所の将来の一つの目標として見ていた社労士の先生も急死され、目の前のことにだけ関わっていられない様な気がしてきました。この先、長く安心してお付き合いして頂ける事務所となるには何をすべきなのか、長く安心して働いてもらえる事務所となるには何をすべきなのか、考えるべき課題が数限りなくある中から一つずつ取り組んでいきたいと思っています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2019年04月07日 | スモールトーク

1919年からちょうど百年

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 戦間期のドイツにワイマール憲法に基づく共和制が成立したのが1919年、アジアでは日本統治下の朝鮮半島に三一運動が拡がったのが1919年ですが、私の母親が生まれたのも今から百年前のこの年です。大正というどこか軽快な印象のある時代に生まれ重苦しく激動した昭和の時代を生きて穏やかに平成の世を過ごすはずの母でしたが、昔を知る先の世代や同年代の人たちが次第に少なくなりいつまでも一人暮らしを続けることが難しくなったころ、自宅からの立ち退きと明け渡しを求められる嘆かわしい出来事がありました。70年前に先の持ち主から屋敷を譲り受けて父と共に移り住んだ土地であり、となり近所で諍いなどするものでない皆に聞いてもらえば分かること、というのが母の思いでした。私にとっては自分が生まれ育った土地であり、売り主も里帰りの折には親しく顔を会わせる間柄であり、年寄相手の言い掛りと受け止めていたのですが、関係者がみな亡くなって誰にも相談できなくなっていました。それでも母は立ち寄るたびに経緯を話し、誰も知らない昔のことを交えながら私は夜遅くまで同じ話を何百回となく繰り返し聞かされました。
 この事件のお陰で、「小学校の跡地で米屋の長女として生まれた」自慢や、「学校を休んで手伝った鯛網漁で浜が赤く染まる」素晴らしさ、「父親が若くして亡くなり米屋の商売を人手に譲った」無念さ、「いくら頑張っても機屋の仕事を覚えられない」情けなさ、「大漁の鯖の分け前が重く砂丘の松林を越えて運べない」辛さ、「大洪水で心配して帰った先の実家が流れて浮かぶ屋根にいた機織を見たまま行方が分からない」怖さ、「洋裁を習い立派なミシンを買ってもらった」嬉しさ、「招集されて戦地に赴く弟の見送りも許されない」心細さ、「石川に嫁いで初めて農作業を教わった」面白さ、「夕暮れ時に提灯を下げて嫁入りする」見事さ、「私が用水に流され姉のように想う従姉に救われた」不思議さ、「父の自転車の荷台に乗って家を見に通った」大変さ、「婦人会の役員を終えた後も皆と交流が続いた」楽しさ、「癌の手術をした父を最後まで看病した」安らかさ、「砂地で花や野菜を自給自足する」気楽さ、そして「年をとって町内の方からお世話いただいた」有り難さ、……これまで母から聞いたことのない娘時代の話や祖母の言い伝え、父との思い出や嫁ぎ先での暮らし振りなど母の気持ちを交えて何度も聴くことができました。また、私が事務所を開業するにあたって初めて一人前の息子として扱ったことを思い出し、この先も仕事を続ける覚悟を新たにしました。そして何より、金銭的にも精神的にも限界を超えたと思うなか、気持ちの悪い着電や来訪が続いても勤め続けてくれた職員たち、不快な相談にも拘らず話を聞いて頂いた町内近隣の皆さん、いつも励ましてもらった先輩や友人たち、毎日の生活を見守って下さった親戚近隣の方がた、盗賊一家のように言われ逆恨みを恐れながらも日頃の暮らしを崩さなかった家族親族、沢山の皆さんに支えて頂いていることが良く分かりました。振り返れば、母にとって恥じることのない人生であることをあらためて認識し、これからも堂々とした人生を歩み続けることができると信じています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2019年03月09日 | スモールトーク

車検直後の大修理

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雪のない冬です。昨年とは大違いで、四輪駆動の車をずっと後輪だけの駆動で走らせていて、この冬になって初めてみぞれの日に四駆に切り替えようとしたら二輪のまま駆動の切り替えが効かなくなっていました。昨年は大雪の中で大活躍してくれた車なので十分に手入れをして車検もきちんと受けた直後のトラブル、簡単に調整できると思っていたら手動部分が電動パーツに変わり原因不明でドック入りとなってしまいました。運転する側としては、走りながらスイッチを押すだけでFRと4WDが切替できるのは便利なことですが、故障してしまうと何が原因なのか分らず、電気系統のトラブルだろうと思いながらどうしていいのか自分で判断できないのは辛いところです。実際に修理を依頼すると、まず販売店で順序立てた点検をしても明確な故障個所が判明せず、狙いをつけて基盤を交換してみても何も変わらないので、ディーラーに持ち込むと次のねらいは切替用のモーターを交換してみようということになりました。電気自動車とかハイブリッドとかでなく昔ながらのガソリンで走る車でも町の工場で修理できることが少なくなったことを実感しながら、母が肺炎で入院したときにドクターから聞いた説明のことを思い出しました。それは、肺炎の原因が何か見込を立てて最初の薬剤を投入し、効き目がないときは次の見立てで別の薬剤を投入するということでした。効果が出るまで順々にこれを繰り返すので、体力が持つうちに何か効くものを見つけなくてはならないようです。今の車の状態に置き換えてみると、故障が多いパーツを一つずつ取り替えてみて、いくつか交換したところで遅かれ早かれ復旧するということで、それまでの時間と費用が嵩んでいくことになります。電子部品の修理は自動車販売店の得意分野ではないのでディーラーにお任せすることになり、もしも見立てが外れてモーターの交換でもだめなら次はミッションを降ろして分解修理することになるそうで、もとから想定外の展開とはいえ雪が積もって当然の季節、昨年末に車検に出す前に予備点検でもしておくべきだったかと反省の多い修理です。
posted by 丹保社労士事務所 at 2019年02月02日 | スモールトーク

壁面を背にして日本の未来づくり

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社会保険労務士制度創設50周年記念式典に出席してきました。会場は東京フォーラム、中央部最上階、最上段最後部、本当に背後は壁面でした。地方の社会保険労務士会の更に周辺地域の小さな支部に属し、最末端最底辺で業務に携わる私たち小さな事務所の者にも、式典出席の呼びかけがあったことがよく分ります。ステージの床面は勿論のことオーケストラボックスの底まで覗き込む位置から、天皇皇后両陛下を膝の先に望み、全国から集まった多くの社会保険労務士会幹部の熱気を受け止めることができました。「人を大切にする企業」「人を大切にする社会」の実現に向けて、と題されて催された式典の後半は“日本の未来づくりと社労士の役割”をテーマにしたシンポジウムが行われ、各方面の有識者の皆さんから様々の視点から私たちへの期待や激励がありました。その中で私にとっても一つの課題と考えられるのは、「人が夢中になって仕事を覚える時間」をどうやって作り出すかということでした。海外で仕事を探す人や留学を志す人が減少していることとも関係しているのかも知れません。若い時期にしかできないこと、時機を逸しては取り返せないこと、大切なことを見逃したまま時間が過ぎ去るのを知りながら、前に踏み出すことを考えずに今ここに留まるという選択が、ちょっと不思議なことに思います。終身雇用終焉の不安なのか、非正規雇用への反発なのか、貧困化の拡大深化なのか、中間層崩壊の反映なのか、どれも当ってはいないようです。企業が簡単に解決できる課題ではありませんが、仕事を通して考えるなら、仕事をするのはヒトであり、ヒトを大切にする企業は仕事を大切にする企業であり、仕事を大切にする企業で働くヒトは仕事をするヒトであり、ヒトを大切にする企業には仕事をするヒトがいるということになります。私たち社会保険労務士にとっては、安心して仕事をすることができる企業づくり、安心して仕事を覚えることのできる企業づくりが課題として示されたのだと考えています。「人一人は大切なり」の言葉を心に刻み、50年の歴史を踏まえながら、「仕事をするのはヒト」の思いを新たに、新しい年の始めを迎えています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2018年12月30日 | スモールトーク

千代女の松任まち巡り

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 新しい年のカレンダーが届くようになり、平成の年号が数カ月で終わることにだんだんとリアリティを感じるようになりました。また、新天皇即位の皇位継承式典により祝日が増えて、ゴールデンウイークは4月27日から5月6日までの10連休ということにもなるようです。平成の年号になって間もなくいま住んでいる家に引っ越したので、木々の成長や草花の移り変わり、台風や大雪や屋根の修理や物置の建替やら、ほぼ時代と並行して今の土地での時間が進んでいます。これを振り返ってみれば、これまでの人生の半分ちかくを過ごした土地なのに余り詳しく知らずに暮らしています。仕事場と距離があることも一つで、近場のレストランや料理屋さんなど今も探検しているレベルです。そんな状態なのに、旧松任町内の案内役を引き受けてしましました。定期的に開催している研究会のスピーカーとして何かできないかJAL財団の知人に相談したところ、松任で俳句の話をするのなら他の予定を後に回してでも行きたいと返事をもらったのです。折角なので、松任の俳人として著名な加賀の千代女にゆかりの場所など少し巡ってみようということなのですが、ゆっくりと町内を歩いたこともなく、食事やトイレなどどこに何があるやらも知らず慌てて調べながら下見をしています。まずはベースになりそうなのがJR松任駅前にある「千代女の里俳句館」、駐車場がなくてちょっと不便ですが、すぐ近くにある立体駐車場が使えるので、歩いて廻るにはとてもいい場所のようです。その前に、商店街の中に在る「千代女遺芳館」は聖興寺に隣接し、古く千代女を偲ぶ町の人により建てられた千代尼塚には辞世の句が刻まれていて、千代尼堂や草風庵もあり千代女を語るにここは欠かせないところです。ほか、「おかりや公園」として親しまれている松任城址や松任金剣宮には句碑や歌碑が据えられており、字句を読む人には関心を持ってもらえるはずです。あと、時間あれば泉鏡花ゆかりの摩耶夫人像を安置する行善寺や十億の母を詠んだ暁烏敏の生誕の明達寺なども候補にしています。これで半日はかかるので、お昼ご飯をどうしようか、荒れた日だとどうしようか、俳句館併設の美術館・博物館はどうしようか、まだまだ課題が残っています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2018年12月01日 | スモールトーク

新大阪東口の編集会議

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 名古屋市内で研修会が企画されることの多い石川県社会保険労務士会ですが、これは会に中部地域というくくりがあって、県内で開催するのでなければ北陸三県か或いは少し拡がると東海四県を併せて名古屋が会場ということのようです。ところが、受講する対象者が限定される研修ですと会場数が少なくなるので名古屋での開催が見送られることもあり、この秋に一泊二日の介護事業研修が大阪で開催されるという通知を受けてこれに申し込みました。10時まで事務所にいて急いで乗り込んだサンダーバードが神戸線の事故の影響で遅れてしまい、昼食を抜いても研修の開始時刻に間に合わないという情けないスタートです。かなりタイトな日程でしたが、一日目終了後に晩飯を兼ねて事務所通信の編集会議をやろうと、大阪在住の岡崎凛さんと武内正樹さんに声をかけ、研修会場に近い新大阪駅まで出て来てもらうことができました。折角なので粉ものをという話だったのが、お好み焼き屋さんは席が取れず難しく、東口に近い焼き鳥屋さんに入り、ゆっくり話をしているうちに遅い時間になってしまい、そのままホテルに戻りました。翌朝の東口はにわか雨もあって雰囲気が変わり、青空マーケットで賑わう公園広場を抜けた先の研修会場で二日目の講義です。介護事業に関わる様々の方向から多くの人の話を聞き、ケースワークでは介護事業の労務管理に携わる社労士の取り組み方を教わりました。この先まだ高齢者が増え続けるのに伴い介護人材も需要が増えて、2025年までに55万人毎年6万人ずつ介護人材を確保する必要があるということです。このため、介護職員の処遇改善加算、中高年の介護補助職への育成活用、外国人介護人材の受け容れ拡充など、いくつもの施策が講じられています。ただ、介護業界では「保険外」「中重度化」「自立支援」「ロボット」「アジア」をキーワードに2025年をパラダイムシフトの目安と見ているものの、まだ中長期の根本的な改革案がまとまらない状態にあるそうです。
posted by 丹保社労士事務所 at 2018年11月01日 | スモールトーク

社労士50年の知恵を贈る

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 社会保険労務士制度創設50周年の式典を前に、私ども同業の大先輩である村井先生が亡くなりました。仕事のことはもちろんですが、人の世を生きていくうえでの知恵を戴くことの多い方でした。私にとってメンターとはこの方だったかと、亡くなられてからそんなことを想っています。社会保険労務士として事務所を設けて45年の間お一人で業務をこなしていたというだけでも真似のできないことですが、映画や音楽そして歴史に古典と実に博識で、様々な領域に関心を持って日ごろの思いを独特の語り口で文章をまとめ、毎月のように私の事務所まで届けて頂きました。“らむがき”と名付けて書き始めたのが60歳を過ぎてからだそうですが、それでも20年近くの長期に亘って事務所の運営にあたり社会保険労務士会の役務をこなしながら書き綴ってみえたことになります。もともとは会計事務所に勤務しながら行政書士資格や社会保険労務士資格を取得して開業されたことから企業のアウトラインをつかむことが得意で、労働社会保険の手続や給料計算だけでなく労働問題・労務管理に関して説得力のある的確なアドバイスのできるコンサルタントとしても信頼の厚い先生としての印象があります。私自身も資格を取得して開業する前までは会計事務所にお世話になっており、会計事務所に勤務しながら資格登録して社会保険労務士会に入会している時期が長かったため、その頃から何かとお声かけ頂くことが多く、開業にあたっても励ましの言葉はとても力強いものでした。私が開業してからもお世話になることが多く、大金が絡む話でご迷惑だったに違いありませんが、母親が土地の名義を巡って自宅からの立ち退きを求められた際にも快く相談に乗って頂いて、お陰でこの時は落ち着いた気持で普段の生活を心がけることができました。平成の年号が変わろうとしている今、私が資格登録したのはまだ昭和でしたので、私も社会保険労務士として30年の経歴を重ねたことになります。諸先輩から授かったご恩を後輩達に贈り、引き継ぐべき後輩を育てる時期に来ているのだと思うようになりました。
posted by 丹保社労士事務所 at 2018年10月06日 | スモールトーク