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丹保敏隆
代表 :丹保敏隆
[丹保社会保険労務士事務所]
石川県小松市日の出町一丁目112
HOWDID118-202
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今が節目の新年度

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 4月は区切りよく月曜日からのスタートです。自分にとってもいくつかの節目なる新年度の始まりです。昨年度は社会保険労務士制度創設50周年の行事が多く、この業界としては新たな時代に入ったという意識をもって臨んでおり、私自身の登録証には社会保険労務士として登録したのが1984年と記録されていて社労士業務に関わって35年を経過することになります。平成の年号もこの4月いっぱいですが、私が登録したのはもうひとつ前の昭和の時代で労働省や社会保険庁が存在していた頃で、この先しばらくすると業界の中でも段々と珍しい存在になってしまいそうです。また、事務所としても平成16年の実質的な開業から15年を経過し、ちょうど平成の半分の期間を事務所の仕事に充てたことになります。年度替わりのこの時期、私はよく「節目」ということを言いますが、働き方改革など大きな流れの中に在る今の自分自身が節目に差し掛かっているように思い、内も外も変化せざるを得ない環境の中にいて自ら意識的に変わるに相応しい頃合いに来たかと考えています。この年度末、昨年の春からのことを振り返ってみると、自分の人生のキーストーンとなった人が相次いで亡くなりました。いつでも会えると思いずっと会えなかった学生時代のサークルの先輩、在職中は勿論のこと退職後も講師に亘りお世話になり続けた会計事務所の先生、開業前からお声をかけて頂き独立するにあたり心の支えでもあった社労士の先生、感謝の言葉もお礼の言葉も十分に伝えることができなかったことが心残りです。そして、つい十日ほど前、遠く及ばないとはいえ事務所の将来の一つの目標として見ていた社労士の先生も急死され、目の前のことにだけ関わっていられない様な気がしてきました。この先、長く安心してお付き合いして頂ける事務所となるには何をすべきなのか、長く安心して働いてもらえる事務所となるには何をすべきなのか、考えるべき課題が数限りなくある中から一つずつ取り組んでいきたいと思っています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2019年04月07日 | スモールトーク

1919年からちょうど百年

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 戦間期のドイツにワイマール憲法に基づく共和制が成立したのが1919年、アジアでは日本統治下の朝鮮半島に三一運動が拡がったのが1919年ですが、私の母親が生まれたのも今から百年前のこの年です。大正というどこか軽快な印象のある時代に生まれ重苦しく激動した昭和の時代を生きて穏やかに平成の世を過ごすはずの母でしたが、昔を知る先の世代や同年代の人たちが次第に少なくなりいつまでも一人暮らしを続けることが難しくなったころ、自宅からの立ち退きと明け渡しを求められる嘆かわしい出来事がありました。70年前に先の持ち主から屋敷を譲り受けて父と共に移り住んだ土地であり、となり近所で諍いなどするものでない皆に聞いてもらえば分かること、というのが母の思いでした。私にとっては自分が生まれ育った土地であり、売り主も里帰りの折には親しく顔を会わせる間柄であり、年寄相手の言い掛りと受け止めていたのですが、関係者がみな亡くなって誰にも相談できなくなっていました。それでも母は立ち寄るたびに経緯を話し、誰も知らない昔のことを交えながら私は夜遅くまで同じ話を何百回となく繰り返し聞かされました。
 この事件のお陰で、「小学校の跡地で米屋の長女として生まれた」自慢や、「学校を休んで手伝った鯛網漁で浜が赤く染まる」素晴らしさ、「父親が若くして亡くなり米屋の商売を人手に譲った」無念さ、「いくら頑張っても機屋の仕事を覚えられない」情けなさ、「大漁の鯖の分け前が重く砂丘の松林を越えて運べない」辛さ、「大洪水で心配して帰った先の実家が流れて浮かぶ屋根にいた機織を見たまま行方が分からない」怖さ、「洋裁を習い立派なミシンを買ってもらった」嬉しさ、「招集されて戦地に赴く弟の見送りも許されない」心細さ、「石川に嫁いで初めて農作業を教わった」面白さ、「夕暮れ時に提灯を下げて嫁入りする」見事さ、「私が用水に流され姉のように想う従姉に救われた」不思議さ、「父の自転車の荷台に乗って家を見に通った」大変さ、「婦人会の役員を終えた後も皆と交流が続いた」楽しさ、「癌の手術をした父を最後まで看病した」安らかさ、「砂地で花や野菜を自給自足する」気楽さ、そして「年をとって町内の方からお世話いただいた」有り難さ、……これまで母から聞いたことのない娘時代の話や祖母の言い伝え、父との思い出や嫁ぎ先での暮らし振りなど母の気持ちを交えて何度も聴くことができました。また、私が事務所を開業するにあたって初めて一人前の息子として扱ったことを思い出し、この先も仕事を続ける覚悟を新たにしました。そして何より、金銭的にも精神的にも限界を超えたと思うなか、気持ちの悪い着電や来訪が続いても勤め続けてくれた職員たち、不快な相談にも拘らず話を聞いて頂いた町内近隣の皆さん、いつも励ましてもらった先輩や友人たち、毎日の生活を見守って下さった親戚近隣の方がた、盗賊一家のように言われ逆恨みを恐れながらも日頃の暮らしを崩さなかった家族親族、沢山の皆さんに支えて頂いていることが良く分かりました。振り返れば、母にとって恥じることのない人生であることをあらためて認識し、これからも堂々とした人生を歩み続けることができると信じています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2019年03月09日 | スモールトーク

車検直後の大修理

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雪のない冬です。昨年とは大違いで、四輪駆動の車をずっと後輪だけの駆動で走らせていて、この冬になって初めてみぞれの日に四駆に切り替えようとしたら二輪のまま駆動の切り替えが効かなくなっていました。昨年は大雪の中で大活躍してくれた車なので十分に手入れをして車検もきちんと受けた直後のトラブル、簡単に調整できると思っていたら手動部分が電動パーツに変わり原因不明でドック入りとなってしまいました。運転する側としては、走りながらスイッチを押すだけでFRと4WDが切替できるのは便利なことですが、故障してしまうと何が原因なのか分らず、電気系統のトラブルだろうと思いながらどうしていいのか自分で判断できないのは辛いところです。実際に修理を依頼すると、まず販売店で順序立てた点検をしても明確な故障個所が判明せず、狙いをつけて基盤を交換してみても何も変わらないので、ディーラーに持ち込むと次のねらいは切替用のモーターを交換してみようということになりました。電気自動車とかハイブリッドとかでなく昔ながらのガソリンで走る車でも町の工場で修理できることが少なくなったことを実感しながら、母が肺炎で入院したときにドクターから聞いた説明のことを思い出しました。それは、肺炎の原因が何か見込を立てて最初の薬剤を投入し、効き目がないときは次の見立てで別の薬剤を投入するということでした。効果が出るまで順々にこれを繰り返すので、体力が持つうちに何か効くものを見つけなくてはならないようです。今の車の状態に置き換えてみると、故障が多いパーツを一つずつ取り替えてみて、いくつか交換したところで遅かれ早かれ復旧するということで、それまでの時間と費用が嵩んでいくことになります。電子部品の修理は自動車販売店の得意分野ではないのでディーラーにお任せすることになり、もしも見立てが外れてモーターの交換でもだめなら次はミッションを降ろして分解修理することになるそうで、もとから想定外の展開とはいえ雪が積もって当然の季節、昨年末に車検に出す前に予備点検でもしておくべきだったかと反省の多い修理です。
posted by 丹保社労士事務所 at 2019年02月02日 | スモールトーク

壁面を背にして日本の未来づくり

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社会保険労務士制度創設50周年記念式典に出席してきました。会場は東京フォーラム、中央部最上階、最上段最後部、本当に背後は壁面でした。地方の社会保険労務士会の更に周辺地域の小さな支部に属し、最末端最底辺で業務に携わる私たち小さな事務所の者にも、式典出席の呼びかけがあったことがよく分ります。ステージの床面は勿論のことオーケストラボックスの底まで覗き込む位置から、天皇皇后両陛下を膝の先に望み、全国から集まった多くの社会保険労務士会幹部の熱気を受け止めることができました。「人を大切にする企業」「人を大切にする社会」の実現に向けて、と題されて催された式典の後半は“日本の未来づくりと社労士の役割”をテーマにしたシンポジウムが行われ、各方面の有識者の皆さんから様々の視点から私たちへの期待や激励がありました。その中で私にとっても一つの課題と考えられるのは、「人が夢中になって仕事を覚える時間」をどうやって作り出すかということでした。海外で仕事を探す人や留学を志す人が減少していることとも関係しているのかも知れません。若い時期にしかできないこと、時機を逸しては取り返せないこと、大切なことを見逃したまま時間が過ぎ去るのを知りながら、前に踏み出すことを考えずに今ここに留まるという選択が、ちょっと不思議なことに思います。終身雇用終焉の不安なのか、非正規雇用への反発なのか、貧困化の拡大深化なのか、中間層崩壊の反映なのか、どれも当ってはいないようです。企業が簡単に解決できる課題ではありませんが、仕事を通して考えるなら、仕事をするのはヒトであり、ヒトを大切にする企業は仕事を大切にする企業であり、仕事を大切にする企業で働くヒトは仕事をするヒトであり、ヒトを大切にする企業には仕事をするヒトがいるということになります。私たち社会保険労務士にとっては、安心して仕事をすることができる企業づくり、安心して仕事を覚えることのできる企業づくりが課題として示されたのだと考えています。「人一人は大切なり」の言葉を心に刻み、50年の歴史を踏まえながら、「仕事をするのはヒト」の思いを新たに、新しい年の始めを迎えています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2018年12月30日 | スモールトーク

千代女の松任まち巡り

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 新しい年のカレンダーが届くようになり、平成の年号が数カ月で終わることにだんだんとリアリティを感じるようになりました。また、新天皇即位の皇位継承式典により祝日が増えて、ゴールデンウイークは4月27日から5月6日までの10連休ということにもなるようです。平成の年号になって間もなくいま住んでいる家に引っ越したので、木々の成長や草花の移り変わり、台風や大雪や屋根の修理や物置の建替やら、ほぼ時代と並行して今の土地での時間が進んでいます。これを振り返ってみれば、これまでの人生の半分ちかくを過ごした土地なのに余り詳しく知らずに暮らしています。仕事場と距離があることも一つで、近場のレストランや料理屋さんなど今も探検しているレベルです。そんな状態なのに、旧松任町内の案内役を引き受けてしましました。定期的に開催している研究会のスピーカーとして何かできないかJAL財団の知人に相談したところ、松任で俳句の話をするのなら他の予定を後に回してでも行きたいと返事をもらったのです。折角なので、松任の俳人として著名な加賀の千代女にゆかりの場所など少し巡ってみようということなのですが、ゆっくりと町内を歩いたこともなく、食事やトイレなどどこに何があるやらも知らず慌てて調べながら下見をしています。まずはベースになりそうなのがJR松任駅前にある「千代女の里俳句館」、駐車場がなくてちょっと不便ですが、すぐ近くにある立体駐車場が使えるので、歩いて廻るにはとてもいい場所のようです。その前に、商店街の中に在る「千代女遺芳館」は聖興寺に隣接し、古く千代女を偲ぶ町の人により建てられた千代尼塚には辞世の句が刻まれていて、千代尼堂や草風庵もあり千代女を語るにここは欠かせないところです。ほか、「おかりや公園」として親しまれている松任城址や松任金剣宮には句碑や歌碑が据えられており、字句を読む人には関心を持ってもらえるはずです。あと、時間あれば泉鏡花ゆかりの摩耶夫人像を安置する行善寺や十億の母を詠んだ暁烏敏の生誕の明達寺なども候補にしています。これで半日はかかるので、お昼ご飯をどうしようか、荒れた日だとどうしようか、俳句館併設の美術館・博物館はどうしようか、まだまだ課題が残っています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2018年12月01日 | スモールトーク

新大阪東口の編集会議

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 名古屋市内で研修会が企画されることの多い石川県社会保険労務士会ですが、これは会に中部地域というくくりがあって、県内で開催するのでなければ北陸三県か或いは少し拡がると東海四県を併せて名古屋が会場ということのようです。ところが、受講する対象者が限定される研修ですと会場数が少なくなるので名古屋での開催が見送られることもあり、この秋に一泊二日の介護事業研修が大阪で開催されるという通知を受けてこれに申し込みました。10時まで事務所にいて急いで乗り込んだサンダーバードが神戸線の事故の影響で遅れてしまい、昼食を抜いても研修の開始時刻に間に合わないという情けないスタートです。かなりタイトな日程でしたが、一日目終了後に晩飯を兼ねて事務所通信の編集会議をやろうと、大阪在住の岡崎凛さんと武内正樹さんに声をかけ、研修会場に近い新大阪駅まで出て来てもらうことができました。折角なので粉ものをという話だったのが、お好み焼き屋さんは席が取れず難しく、東口に近い焼き鳥屋さんに入り、ゆっくり話をしているうちに遅い時間になってしまい、そのままホテルに戻りました。翌朝の東口はにわか雨もあって雰囲気が変わり、青空マーケットで賑わう公園広場を抜けた先の研修会場で二日目の講義です。介護事業に関わる様々の方向から多くの人の話を聞き、ケースワークでは介護事業の労務管理に携わる社労士の取り組み方を教わりました。この先まだ高齢者が増え続けるのに伴い介護人材も需要が増えて、2025年までに55万人毎年6万人ずつ介護人材を確保する必要があるということです。このため、介護職員の処遇改善加算、中高年の介護補助職への育成活用、外国人介護人材の受け容れ拡充など、いくつもの施策が講じられています。ただ、介護業界では「保険外」「中重度化」「自立支援」「ロボット」「アジア」をキーワードに2025年をパラダイムシフトの目安と見ているものの、まだ中長期の根本的な改革案がまとまらない状態にあるそうです。
posted by 丹保社労士事務所 at 2018年11月01日 | スモールトーク

社労士50年の知恵を贈る

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 社会保険労務士制度創設50周年の式典を前に、私ども同業の大先輩である村井先生が亡くなりました。仕事のことはもちろんですが、人の世を生きていくうえでの知恵を戴くことの多い方でした。私にとってメンターとはこの方だったかと、亡くなられてからそんなことを想っています。社会保険労務士として事務所を設けて45年の間お一人で業務をこなしていたというだけでも真似のできないことですが、映画や音楽そして歴史に古典と実に博識で、様々な領域に関心を持って日ごろの思いを独特の語り口で文章をまとめ、毎月のように私の事務所まで届けて頂きました。“らむがき”と名付けて書き始めたのが60歳を過ぎてからだそうですが、それでも20年近くの長期に亘って事務所の運営にあたり社会保険労務士会の役務をこなしながら書き綴ってみえたことになります。もともとは会計事務所に勤務しながら行政書士資格や社会保険労務士資格を取得して開業されたことから企業のアウトラインをつかむことが得意で、労働社会保険の手続や給料計算だけでなく労働問題・労務管理に関して説得力のある的確なアドバイスのできるコンサルタントとしても信頼の厚い先生としての印象があります。私自身も資格を取得して開業する前までは会計事務所にお世話になっており、会計事務所に勤務しながら資格登録して社会保険労務士会に入会している時期が長かったため、その頃から何かとお声かけ頂くことが多く、開業にあたっても励ましの言葉はとても力強いものでした。私が開業してからもお世話になることが多く、大金が絡む話でご迷惑だったに違いありませんが、母親が土地の名義を巡って自宅からの立ち退きを求められた際にも快く相談に乗って頂いて、お陰でこの時は落ち着いた気持で普段の生活を心がけることができました。平成の年号が変わろうとしている今、私が資格登録したのはまだ昭和でしたので、私も社会保険労務士として30年の経歴を重ねたことになります。諸先輩から授かったご恩を後輩達に贈り、引き継ぐべき後輩を育てる時期に来ているのだと思うようになりました。
posted by 丹保社労士事務所 at 2018年10月06日 | スモールトーク

台風が過ぎても網焼きの夏

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 今年は梅雨明けが7月9日と例年より2週間以上も早く、それからは暑くて長い夏がいつまでも終わらないような毎日が続きましたが、台風が日本海に抜けて一雨あってからようやく秋の虫が騒ぎ始め、幾分か朝夕に季節を感じるようになりました。大雪の冬と猛暑の夏と、おそらく記録としては異常な年になりそうですが、気分としては冬らしい冬に夏らしい夏があるのは結構いいもので、これに春と秋の過ごし易い季節がもっと長ければ悪いものでもないように思っています。大きな災害のない地域に暮らしているからかも知れませんが、寒い季節には寒い時期のものを食べることができて、暑い季節には暑い時期の食べ物を口にすることができるのは、自分の体そのものが季節に応じて変化してきているような気がして、砂が残る板の間で麦茶のペットボトルと並んでゴロゴロと涼んでいる自分が愛おしく思ういい夏を過ごしました。
 この夏、焼き肉やバーベキューがいつもの年よりも多くなりました。例年なら町内会の夏の恒例のイベントとしてバーベキュー大会を開催しているのですが、今年は豪雪のため除雪費の出費がオーバーしたためバーベキュー大会を取り止めて除雪の超過費用に充てることにしたそうで、この計算だと焼き肉は1回減になるはずでした。ところが尋常ではないこの暑さ、ソーメンよりも焼肉ということなのか、回数増加の結果です。何人か集まることがあると打ち上げだの何だのと言うことになり、流れはビールと焼き肉ということになってしまいます。気がつけば二週に1回のペースで網焼きの煙を被ることになりました。ただ、この暑く長い夏を乗りきることができたら、次はウエイトコントロールも心がけねばならないようです。連日の暑さから、これまでになく海辺で涼みながら一服する日が多い夏になりましたが、海上に出る機会が少なく体を動かす機会が少なくなったことを感じています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2018年10月04日 | スモールトーク

高齢者施設で障害者就労のマッチング

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 NPOによる障害者就労支援事業所の立ち上げに関与したこともあり、石川県が主導する高齢者施設を対象とした障害者就労支援事業所とのマッチングに関わることになりました。今年の春から企業に於ける障害者雇用率が引き上げられて精神障害者も雇用の対象になったことから、小規模企業でも自社に相応しい障害者雇用の在り方について関心が高まり、また同時に障害者雇用の難しさを認識された企業も多かったように見受けられます。このマッチングは高齢者施設で障害者を直接に雇用するのではなく、障害者の人たちの就労のお世話をしている障害者就労支援施設に対して高齢者施設が業務を依頼することを前提に、人材が不足している高齢者施設で本来の業務に手中することが難しくなっている介護職員の負担を軽減できることがあれば、障害者就労支援施設のバックアップを受けて障害者が就労する機会の確保とあわせて高齢者施設のサービス向上に結び付くというものです。小規模企業での障害者雇用というと一般的には身体障害者の雇用をイメージされることが多く、就労先を捜している知的障害・精神障害の方との間でミスマッチが発生することも当然で、実際には雇用にあたって長時間の就労が難しい上に日常的な支援者のサポートが必要となり、更に就労自体が可能になっても通勤の問題が残ります。交通機関が不十分な地方の企業では自家用車での通勤を前提に従業員を採用しており、運転免許を待たない障害者は家族が毎日の送迎をしてくれなければ夫々の人の都合に合わせた企業による送迎を期待するしかありません。それで、課題を抱えたまま直接に雇用するより就労支援施設に清掃やクリーニングなどの業務を依頼して、人手が足りず雑務に追われる介護職員が本来的な業務に携わる時間を少しでも確保しようということです。障害者の人達は各々に出来ること出来ないことが様々で一律の対応が難しいのですが、パソコン操作やIT業務を得意とする人が少なからず存在し、ネットパトロールや給料計算業務・会計入力業務など一般企業にも対応できますし、テレワークやフリーアドレスも兼ねた業務請負も違和感がないようです。この事業による成果の達成に努めることはもちろん、併せて事業に協力いただく事業所にとっても新たなチャンスとなることを期待しています。
posted by 丹保社労士事務所 at 2018年08月27日 | スモールトーク

出羽の海沿い7号線

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 伯父を見舞いに梅雨入り前の秋田まで走りました。子供の頃は東京の伯父さんだったのが、勤務先の会社が成長するにつれて遠くまで転勤して仙台の伯父さんになり、盛岡、そして秋田で定年を迎えてそのままここに居つくことになったようです。実家の兄が亡くなってからも何度か車で石川県まで帰ったことがあり、山中で重機の部品が到着するまで待ち続けた飯場の食事の旨さ、キノコ採りに入った谷の向かい斜面で木に登る熊の大きさ、秋田か岩手で生まれ育ったかのような話を聞かせてもらいました。子供の頃の話を聞いてみると、私の生れた家のすぐ近くの店の油揚が美味くてもう一ぺん食べてみたいとか、石川県では珍しくて売れないホッケが網に入り漁師がすぐ刺身にした味が忘れられないとか、営業マンらしい話がするすると出てきました。何年も実家に顔を出すことがなく便りも途絶え気味だったところ、介護施設のお世話になっているとのことで、日の長い時期に他の用事も束ねて伯父の顔を見に行くことにしました。従弟とも連絡がとれたので施設で落ち合って案内してもらったものの、自力で起き上がるのも難しく話も出来ず残念でしたが、穏やかな様子を見ることができたのはそれで一つの成果と思い街に向かいました。秋田の街中には久保田城址があり睡蓮の浮かぶお堀から山上まで散歩コースになっているそうですが、何故かこの上にある料理旅館の運営を定年後の伯父夫婦が引き受けていて、承継には幾つか条件が付くため今は経営者が不在という寂しい話を聞きました。上がってみると、一年前の紫陽花の花がそのまま残り手入れがされていないとはいえ、緑に囲まれた建物に荒れた印象はなく、何年か前に来ていたなら、きっと季節の山菜をたっぷり食べることができたかも知れません。
 帰り道、象潟から鳥海山を雲で隠す7号線を南下して酒田に向かい、土門歯科医院の看板を横目に目指したのは土門拳記念館です。写真家の土門拳が故郷の酒田市に作品を寄贈して開館に至ったそうで、見事に焼き上げられた沢山の写真を見ると期待を超える充実感がありました。まだこんな焼きができる職人さんがいるのかと感心していたら、フィルムも無くなりそうな時代にこれは難しいそうで、土門拳に専属の人達が焼いた写真が残っていることを期待するしかないとのことです。もう一つ残念だったのは、土門と同じ時代を生きた写真家の木村伊兵衛の「秋田おばこ」と題された写真は秋田県の観光キャンペーンにも使われ、お土産物屋さんの壁にピンナップされているのですが、秋田の町には木村伊兵衛の常設の展示はどこにも見当たりませんでした。
posted by 丹保社労士事務所 at 2018年07月27日 | スモールトーク