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丹保敏隆
代表 :丹保敏隆
[ 丹保社会保険労務士事務所 ]
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リハビリ介護

 とうとう、一人暮しをしていた高齢の母親が入院してしまいました。石油ストーブに灯油を補給しようとして物置の入り口で転倒し、左大腿骨を骨折したのです。乗用車の座席に腰掛けるのは無理な様子で、呼ぶのを嫌がる救急車で病院に担ぎ込まれ手術を受けることになりました。「三日ほどしたらリハビリ」という治療計画でしたが、術後は原因不明の発熱が10日以上も続いて会話も一時は意味不明の状態となり、入院中の介護認定を奨められました。
 熱が下がって次第に意識が落ち着き会話が成立するようになると、本人は回復後の帰宅を望むようになったのですが、そこで心配なのが食事やトイレ・入浴など元の日常生活にどこまで戻せるかという点です。さすがに、症状が安定しないうちの介護認定には真剣に取り組んでもらえず、見極めがつくころまで退院を延ばすことになりました。楽観的に過ぎるのかもしれませんが、お見舞の方々からの励ましを戴きながら、季節が良くなるのに合わせて少しでも回復が進むことを期待しています。










posted by 丹保社労士事務所 at 2008年03月04日 | スモールトーク

金沢21世紀美術館

  この冬、金沢21世紀美術館では「荒野のグラフィズム:粟津潔展」と題された長期の展示が行われていて、雪のない休日の午前中に周ってみました。会場に入ると連れが“ここは嫌いだ”と、いきなり騒ぎ始めましたが、暗い部屋に山下洋輔のピアノ炎上の映像が流れると落ち着きを取り戻し、その映像表現というよりブリジット・フォンテーヌの声や阿部定の朗読を聴いているうちに随分と時間が経ちました。いくら21世紀と看板を出しても展示の時間は進まず、気分は60年代・70年代の同時代性に回帰してしまいました。
 この美術館に入るのは私自身まだ二度目だったのですが、面白いイベントが多くファンには見逃せないようで、関西方面からもライブのスケジュールなどをチェックして何度も訪問する人がいます。この日は、ピーター・ハミルとの共演歴があるというギタリストが粟津潔・寺山修司「田園に死す」へのオマージュとしてライブを企画しているとのことでしたが、サウンドチェックとリハーサルの様子を横目に昼食を急ぐ事になりました。










posted by 丹保社労士事務所 at 2008年01月21日 | スモールトーク

ブルースブラザース

 「ブルースブラザース」という映画が製作されてからもう30年近くが経ってしまったようです。私が初めてこの映画を見たのは映画館ではなくビデオになってからでした。それも、VHSではなくベータのテープにCMごと録画されたVTRだったのですが、繰り返し見れば見るほど面白かったのです。そんなことを三納先生にお話しすると、その続編「ブルースブラザース2000」もいいということで、早速、VTRをお借りすることになりました。こちらも、もう10年ほど前の制作でしたが、B.B.キングやエリック・クラプトンなんかも出演していて、何度も見直してしましました。
 自分たちの育った孤児院を経営危機から再生させようというブルース・ブラザースは、ブラウン牧師のサーモンからバンド結成のミッションを得て、昔の仲間達を口説き回りまとめ上げていくものの興行は失敗。20年のうちに兄弟分を亡くし時には弱気になりながらもながらも、困難に際して自らの言葉を孤児から返され、見事なアジテーションで再結成。自分自身、これから新入社員研修の企画を進めようという時に、方針を固めて支援を求める気持ちに力を与え奮い立たせてくれました。







posted by 丹保社労士事務所 at 2007年12月29日 | スモールトーク

味噌まんじゅう

 昨年も晩秋に門前を訪ね、その時は観光イベントで新ソバを食べてから総持寺の修行僧の善哉と朝粥も食べてきました。能登沖の地震が発生したのはそれから半年も経たない三月下旬の日曜日の朝、ちょうど艇庫から船を出し春先の準備をしようと相川の浜に向かう時のことでした。記録的な強度の地震から8ヶ月が過ぎ、ようやく有料道路も全線が復旧したとのことで、久し振りに能登の風にあたってきました。沖には白波が跳び渚には巻波が寄せる外浦を眺めながら門前の町に入ると、雲間から低く差し込む師走の陽の光はまだ工事の終わらない家屋の残る町並みを優しく包んでいました。しかし、既に輪島市に併合された元からの過疎地に人影は少なく、門前高校の生徒達よりほか冬場の観光客が僅かに目に入るぐらいでした。そのうち、だんだんと空が暗くなり木の葉が舞い始めると、天気予報の通りに一気に時雨れてアラレまで混じってきました。今度は美味しい魚を食べて温泉で一泊したいものだと思いながら、帰り道で味噌まんじゅうをお土産にして初冬の能登を後にした一日でした。







posted by 丹保社労士事務所 at 2007年12月04日 | スモールトーク

故郷の風景

 ATGからタクシーに乗ったとき爆弾かと疑われるほど大切に扱っていたフィルムが大島渚監督の「夏の妹」でした。沖縄を舞台にした観光映画のようなこの写真が佐々木守の脚本によるものだと彼の故郷の能美市のメモリアル講演で初めて知りました。放送作家はテレビの世界だけで活動していると思っていたのですが、大島渚だけでなく松田政男・若松孝二・足立正夫など一つの時代を象徴するような映画監督達と関わっていたそうです。コンビを組んでいた今野勉さんによると、児童文学と記録映像との両方を使い分けができる人のようで、それが“七人の刑事”“ウルトラマン”“コメットさん”“ハイジ”“巨人の星”“絞死刑”“新撰組”などの幅の広さになったことが分かります。
 驚いたのは佐々木が殺人犯永山則夫を扱った映画のスポンサーだったことです。そして不思議なことに、中平卓馬の“植物図鑑”を手にしていたころに、今野さんが上映されなかったというこの不可解な風景映像を私は確かに見た記憶があるのです。永山の見た風景の写真を見たのです。今野さんにとって故郷の風景とは今は既に原野に帰した炭坑の谷間の軒先をかすめて走る汽車であり、その夕張の風景は日本の風景として常に疎外されていたと語る今野勉さんの話で“略称・連続射殺魔”の謎の一つが解けたような気もしました。そして、佐々木がパレスチナに向かうことなく故郷と適度な距離を保ち続けたことも当然だと思ったのです。







posted by 丹保社労士事務所 at 2007年12月03日 | スモールトーク

大野の赤兎山

 アラレが降ってもおかしくない十一月上旬の週末、石川県境に近い福井県大野市にある赤兎山を案内してもらいました。6時に駅前に集合ということで家を出たのは夜明け前、ワゴン車に同乗させてもらってコンビニに寄ったあと県境に向かいました。林道ゲートで入山料を払って山道を走ると舗装は途切れ、更に落石の目立つダートを奥に進むと登山口の駐車場に到着です。駐車場の刈り込んだ草が露にぬれてスリップし、いきなり車を降りて押すハードワークになりました。
 標高1600m余りの赤兎山には360度の眺望に沢や湿原もあって多彩な風景を楽しむことができます。夏の赤池の周辺にはお花畑が見られるそうですが、でも雨のあとはぬかるみが大変だという話でした。私達が登ったときには晴天が続いていて、ナナカマドの実を見ながら乾いた落ち葉を踏んで歩くことができました。そして、人出の多い中でなんとか昼食のスペースを確保すると、ビンテージものになったガソリンストーブに調子よく火が入り、サケのかす汁がたっぷりと出来上がりました。







posted by 丹保社労士事務所 at 2007年11月07日 | スモールトーク

仏子園の焼き鳥

 北安田のお寺と聞いて最初に思い浮かんだのは、祖母が“めくらのアキガラスさん”と呼んでいた真宗のお寺で、十億の母を歌った暁烏敏の明達寺のことでした。引っ越して間もない十数年前、バザーの商品の提供を求める仏子園の子や職員に初めて会った時には、近所に日蓮宗のお寺があることも知的障害者の養護施設があることも知りませんでした。まだ障害者のための施設が十分でなかった先代のころから運営されている施設のようです。何年か前からヨットでお世話になっているセーリング協会の方からの呼びかけがあって、たまに私もこの仏子園のバザー「収穫祭」に参加することになりました。
 今年も担当は例年通りに「焼き鳥」でした。好天に恵まれたこともあって人出は上々で、昼食を摂る時間もないほどに行列ができてしまい、お昼過ぎには完売となりました。炭火に落ちた鶏の脂と胡椒の煙が身体じゅうにしみ込んでしまったみたいで一日たってからも消えません。自分達のやっていることが彼等の役に立つのかどうかは分かりませんが、どこまでも明るい知的障害者、いつも前向きな聴覚障害者、もしや彼等は仏の子であり生き仏であり現人神であるのかもしれません。







posted by 丹保社労士事務所 at 2007年11月06日 | スモールトーク

ブラックマンデイ

 ノイスワンスタイン城めぐりのバスツアーの途中、日本から西ドイツへの国費留学生らしき人物からフュッセンのレストランで「歴史に残る日かもしれない」と言われた20年前のその日は、“ブラックマンデー”と呼ばれるようになりました。私達にとっての事件はその後のことでした。ほぼ満席のイリューシンが不気味な赤い雲に飲み込まれるかのように着陸した濃霧のシェレメチェボ空港からは、その後の離着陸はなくなったのです。そのまま、ロビーで水を飲みながら朗々と歌うイスラム風の負傷者達のそばで一夜を明かすことになりました。それでも、ソビエト連邦がまだ機能していたゴルバチョフの時代で、南回り(インド経由)や北回り(アラスカ経由)よりシベリア通過(モスクワ経由)のアエロフロートが確実に速かったのです。夜の成田にはブラックマンデーの影も無く、昭和天皇もご健在の世、バブルのピークはまだ先のことでした。
 お城の急な階段では、お祖父さんがドイツからの移民だというアメリカからのお婆さんに、「あなた達もウサギ小屋に住むのかい?」と尋ねられましたが、今なら「その通り」と答えます。ソ連も東独もなくなり、バブル崩壊からの中枢部修復は格差を拡大させることで収束したようで、格差の再生産はウサギ小屋からお城への引越しを難しくしています。あのお婆さんに「お祖父さんは何を信じて新大陸に渡ったのですか?」と尋ねてみたくなります。







posted by 丹保社労士事務所 at 2007年10月26日 | スモールトーク

お盆のソーメン

 特別に長くて暑かった今年の夏もようやく終わり、虫の声がにぎやかになってきました。暑い暑いといいながら、過ぎてしまえばこんな夏もまたいいもののように思ってしまいます。これは、冷たいビールとエアコンがあるおかげなのですが…。
 日本中どこの地域の気温も水温も確実に上昇しているようですが、それでも海辺で日陰に入って昼寝をすると、しばらくのうちに浜風で体が冷えてしまいます。年寄りたちの話では、海岸線に松林があったころの風はもっと涼しかったそうです。確かに、子供のころお盆に縁側からから吹き込む風に当たってソーメンを食って昼寝をしていたことは覚えていても、暑さの記憶が残っているのは行き帰りの陽射しです。この気候では、そのうちに、夏になっても生姜と唐辛子の入ったコゾクラの煮たのや小骨の残ったキスの刺身など料理屋さんでも食わせてもらえなくなる日が来るのかもしれません。今年はイカ釣りの人達が静かだったのも気になります。







posted by 丹保社労士事務所 at 2007年09月02日 | スモールトーク

石橋の叩き方

 商工会からのお勧めがあって「いしかわ創業塾」に参加させて戴く機会を得ました。毎週土曜日の9時30分から4時30分まで、5週連続はハードでした。私自身、社会保険労務士事務所を開業して3年になり仕事を全般的に見直す時期かと思っていたことや、新規の開業・創業や廃業・再生・世代交代などに関わる相談が重なったこともあって、ちょうどいい機会だと考え参加を申し込みました。当然のことながら、受講生はこれから創業をめざすサラリーマンが多いものの、私も含めて何人かは既に開業している人も混じっていましたが違和感なく受講できました。ご指導の多田先生のおかげで受講生がよくまとまり、お互いに十分の力量以上の意思と知恵を身につけ、将来に向けての頼もしいネットワークが形成されたように感じています。
 創業の心構えとしてセミナーの最初に、“失敗を恐れることはないが、してはならない失敗もある”と言われ「石橋の叩き方」は身に付けておくべきことと心得ましたし、“限られた資金と限られた人材という条件の下で、自分を磨き自分を生かす”というのは、事業の継続にとってこそ欠かしてはならないことと受け止めました。







posted by 丹保社労士事務所 at 2007年09月01日 | スモールトーク